【佳作】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
働く親とこども
茨城県  ひすい  27歳

「ママ、まだ来ないね。」

閉園準備のすすむ保育園の玄関口に座り、6歳の私と3歳の弟は、いつものように先生と一緒に母を待っていた。他の友達はもう帰宅してしまい、私たち兄弟を残すのみなのだ。共働きの両親を持ち、生まれてすぐに保育園に通い出した私たちにとって、この様な光景は特別なことではなかった。家で朝ご飯を食べてからすぐに準備済ませて保育園に行き、外が暗くなってから母が迎えに来て帰宅する。それが幼少期の私の生活のすべてだったが、それを寂しいと思ったことはなかった。働く母と同様に、私もまた、幼いながらも保育園という小さな社会の中でたくさんの経験をして笑ったり泣いたり忙しい毎日を送っていた。そして一日の終わりに、迎えに来た母の車のライトが、暗くなった保育園を照らすのを見るのが好きだった。

しかし、周囲の人にとってその光景は少し違うように見えていたようだ。まだ小さいのに両親と長時間離れていることを可哀想だね、と親戚や友達の親御さんによく言われたのだ。保育園で母を待つ自分を可哀想だと思ったことは一度もなかったが、可哀想だねと同情されることはとても悲しかった。また、仕事も育児も120%で頑張っている自慢の母を悪く言われているようでとてもつらかった。当時は、共働き世帯が増え始めた頃であったものの、仕事と育児の両立がどれほど大変なものであるのかは、まだまだ浸透していなかった頃だと思う。そんな中で、働く女性の先駆けとして、仕事に励み、疲れた日でも急いで私たちを迎えにきてくれる母を私はいつも誇らしく思っていた。周囲の人からは理解してもらえなかったが、私の幼少期はなかなかに充実したものであったと思う。それは私たち兄弟が寂しい思いをしなくて済むように、温かく見守ってくれた先生たちがいてこその保育園生活でもあった。

それから15年ほど経ち、大学生になった私は保育園でアルバイトをするようになった。夕方に親御さんがお迎えに来るまでの間、こども達と一緒に遊びながら親御さんを待つ仕事だ。今度は先生の立場で保育園での時間を過ごすようになったのだ。昼間はたくさんのこども達がいた教室もひとり、ふたりと帰っていくにつれてだんだん静かになっていく。閉園近くになるとこども達も残り数人となり、玄関口をちらちらと気にするような素振りを見せる。たまには寂しくなって泣いてしまうこどももいる。そういうとき、私は決まってやることがある。隣に座り、手を握りながらお話をするのだ。特にお家でのお話をこどもから教えてもらう。おやすみの日はどこに遊びに行くの?パパとママはどんなお仕事をしているの?今日のお洋服は誰が選んだの?どんな些細なことであってもお家での家族との話を教えてもらう。そうするとこどもは家族を思い出して安心し、とても嬉しそうにいろんな話をしてくれる。私が小さいころ、先生たちが私にしてくれたことだ。一日の大部分を両親と離れ離れで過ごしても、こどもは可哀想ではないし、働く両親のことが大好きなのだと分かるこの時間が私はとても大好きだ。そしてそんなこども達を可哀想だという風潮が昨今では薄れてきたことを嬉しくも思う。

それからさらに5年が経ち、私は社会人として働くようになった。今度は保育園にこどもを迎えに行く母親の立場になる日が近づいてきた。まだまだ仕事に追われる毎日だが、ふと将来のことを考えたとき、ひとつ安心することがある。働く女性が仕事と育児を両立するという選択肢が、当たり前のこととして受け入れられる社会になりつつあるということだ。制度や待遇の面ではまだまだ不十分なところがあるのかもしれない。しかし、多様な働き方が、働く女性だけでなくその家族も含めて受け入れられる社会に生きることができて、私はとても幸せだ。仕事、結婚、出産、育児とあらゆる選択肢が与えられ、それを自由に選べる私たちの未来はとても明るい。

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