【佳作】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
「ありがとう」と「ごめんなさい」
香川県  秋山瑞葉  26歳

「お母さん」と陰であだ名を付けていたMさんという同僚女性がいる。目上の方に向かって失礼な話だが、どうしても「お母さん」と揶揄してしまう程、小言の多い方なのだ。

仕事の進め方や電話対応はもちろん、やれ机の上が散らかっている、爪が長い、文房具が派手等と難癖を付けてくるのである。私の手作り弁当を「彩が悪い」とケチを付けられた時は閉口してしまった。

ある時、Mさんと共同で行った仕事の中に、大きなミスがあった。最終的にMさんがチェックしたとはいえ、元々は私が任され、私がミスをした仕事だった。事情を知らない上司はMさんを厳しく注意した。Mさんは私の名を一切出すことなく、ミスは自分の責任だと謝罪した。

部長に名乗りでて一緒に謝るべきなのは分かっていたが、私はMさんが頭を下げるのを見つめるだけだった。このままなかったことにすればいいと思いながらも、Mさんの目を真っ直ぐ見られない日が続いた。

そんな折、十日程の短期入院をすることになった。Mさんと気まずかったこともあり、神様が少し休みなさいと言っているのだと都合よく考え、半月の病欠届を出した。

検査入院だったが、上司や同期社員が見舞いに来てくれた。Mさんは姿を見せなかった。「あんな事もあったし、元から嫌われていたんだ。療養中に顔を見なくてすんでラッキーだ」と考えながら退院した。

職場に復帰して、いざデスクに座ると違和感があった。カラフルなメモ帳、お気に入りの文房具類、ぐるりと机上を見渡しても以前と変化はないように見える。不思議に思い、同期社員に訊ねた。

「私が休んでいる間、机周りに何かあった?」

同期社員はしばし思い巡らせた後、あっと声をあげた。

「そういえば、Mさんが毎朝あなたの机を水拭きしてたよ」

はっとして慌ててデスクに戻ると、言われてみれば半月席を空けていたのに関らず、埃一つ落ちていなかった。入院前より綺麗に磨かれているほどである。

しばらくしてMさんが出勤した。今しかないと意を決して声を掛けた。

「入院中、机を拭いてくださっていたようで、ありがとうございました」

Mさんはパソコンを立ち上げながら、そっけなく答えた。

「ただでさえ汚い机なんだから、目に余って埃を拭っていただけよ」

相変わらず、一言多い。せっかく素直にお礼を言ったのにとむすっとしていると、Mさんは今まで見たことのないような柔和な笑みを見せた。

「検査結果、問題なかったみたいで良かったね」

私ははっとしてMさんの目を見つめた。その時やっと、もう一つ伝えなければいけない事を思い出した。

「あの時のミス、私の責任でもあるのに名乗り出なくてすみません」

その事を改めて部長に伝えにいくと言うと、Mさんはその必要はないと私を制した。

「もう済んだ事だからいいじゃない。お互いこれから気を付けよう」

Mさんはふふっと微笑んで続けた。

「あなた、私の娘にそっくりなの。意地っ張りでおっちょこちょいで。だからいつも口うるさくなっちゃって、ごめんね」

私は羞恥で俯いた。Mさんが「口うるさいお母さん」なら、私は「反抗期で生意気な娘」だった。「ありがとう」と「ごめんなさい」をきちんと伝えるという、子供でもできることができていなかった。

「今度、体にいいお弁当のおかず教えてあげるわ」

そう言って私の肩を叩くMさんは、やっぱりお母さんみたいな人だった。

あの日以来、どんな苦手な上司でも仕事を教える立場にある後輩にも、「ありがとう」と「ごめんなさい」はきちんと伝えるよう心がけている。人として当然のことだと他人が聞けば笑うかもしれない。しかし以前の私のように、そんな当たり前のことができていない社会人は、意外といるのではないだろうか。そして「ありがとう」と「ごめんなさい」が日常生活に増えると、職場環境や社会は、より潤滑になるのではないだろうか。

そんな事を考えながら、Mさんのレシピで作ったお弁当をお昼休みに広げる日々である。

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