【佳作】

しごと
筑紫女学園中学校  肥海紀容子  15歳

「しごと…物体に力を加えてその力の向きに物体を動かしたときに仕事をしたという。」これは私の理科のノートに書かれている板書の一文だ。新しく学ぶことばかりの授業は毎回、理解することや吸収することに精一杯でとてもじゃないが考えごとなどをしている余裕は無い。しかし、さっきの一文を耳にしたときの私は授業中にも関わらずふと考え込んでしまった。知らぬ間に何とも言えない違和感を覚えていたのだ。しばらくしてから気が付いたが違和感の原因は「しごと」という言葉に対して私が抱いていたイメージと板書された「しごと」という言葉に対して書かれた説明の差であった。

「しごと」に対して「収入を得るための労働」ぐらいにしか思っていなかった私だったが違う方向からの考え方をはじめて目の前に突き付けられたことによってはっとさせられた。狭い世界から「しごと」を知らなかった私にはあまりにも新鮮で未知の世界であったのだ。

それから、よくよく考えてみると私が持っていた「しごと」に対するイメージは表面的なもので、理科のノートに書いたあの一文の方が「しごと」の本質的なところを見据えているのではないかと感じた。

そう感じたのは未来の仕事に関する話を聞いたからだ。イギリスの名門、オックスフォード大学のオズボーン准教授と他の研究員らによって著された論文、『雇用の未来-コンピューター化によって仕事は失われるのか』の内容は様々なところで話題となりとても大きな反響を呼んでいた。この論文の内容をとても簡単に述べるならば、「未来の世界でコンピューター等の機械が人間の職業や仕事を奪う可能性について」といった感じだろうか。見てみるとロボットなどの革新技術によって消えると推測される職業や無くなると予想される仕事が数多くあった。中にはにわかには信じがたいものもあったが日常生活を見回しても絶対にありえないと断言出来はしないだろう。ここ数年で至るところに置かれるようになったロボット「ペッパーくん」なんていうのもいい例だろう。あのつぶらな瞳の奥に私たちの未来のあり方が潜んでいるのだ。

もしこれから先の未来で職が奪われていくという現実を受け入れなくてはならなくなった時、私たちはどうするのだろう。世界を見渡しても技術の発展は止まることを知らないようだ。そのなかで少しずつ消えていく仕事を取り戻すのは難しく思える。しかし、技術が進歩したとしても消えることのない仕事もあるのではないか。仮にそうなら、それはどのような仕事なのだろう。

そう考えたときに繋がるのがあの一文だ。「しごと…物体に力を加えてその力の向きに物体を動かしたときに仕事をしたという。」この文の「物体」という単語を「人」に置き換えてみてほしい。これから先、どんなペースでどこまで技術が発展していくのかはわからない。それに伴って具体的にどのような仕事が残るのかも私には想像がつかない。それでも最後に残る「人と人」の関わりに必要なのは相手を動かす温もりではないか、自然とそう思う。おそらく、私がこれから働いていく中でも社会のありようは移り変わっていくだろう。だからこそ私は、そんな世界に負けず、前を向いて胸を張って働きたいと思う。最後の最後で「しごと」をしていると大きな声で笑って言えるような大人でありたいのだ。

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