【努力賞】
【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
金の言葉
福岡県  渡辺信佳  56歳

小学生の時から夢はアナウンサー。地元の放送局で十分間のラジオ番組をもった瞬間、夢は明らかな目標となった。最初に受けた局の採用試験は何と二百倍。険しい道はそこから全く変わらなかった。次もその次の年も不合格。自活のためのアルバイトをアシスタントディレクターにした理由も「どこより早く採用情報がおりてくるはず」だから。アシスタントディレクター、通称AD業務は底なしだった。

ロケ、スタジオ収録までの準備からはじまり当日の任務まで「えっ?こんな雑用する仕事があるの?」と驚くことばかり。出演者のアテンド、スタッフの昼食手配、ギャラの支払い、タクシー手配。カメラに映らないようスタジオを這いながら「私はあなたのその場所に座りたいっ」MC席に涼しい顔で笑う局アナを恨めしく見てた。叩き続けるアナウンサーへのドアは開けてもらえないままAD生活が五年目となった時のことだった。「おまえ、人との距離を詰めるの上手いな」可愛がってもらっていたディレクターの声だった。人との距離?私が?「おまえがおってくれてゲストも俺もめっちゃ感謝しとるぜ」招くゲストは毎回違う一般の方だった。そのゲストと最初に言葉を交わすのは私。控え室に案内し番組の流れを説明する。明らかにドキドキしているゲストの鼓動を普通のリズムに戻すよう他愛ない話で笑わせリハーサルへ送り出す。表情が和んだゲストをつくるのは私の大事な仕事だった。けれど「人との距離を詰める能力」だと評価されるなんて。試験に落ちてばかりの私に赤い花丸がついた。

「何を目標にどう生きるべきでしょうか」このせりふ、若い子からこの頃よく聞く。どんな仕事に向いているかなんてわからなくて当然。あなたすら見えない力を引っ張り出してくれるのは好きなことを諦めないとき。アナウンサーになりたかったけれど、もっと根本に「放送局が好き」という思いが私にはあったんだなあ。採用試験が早くわかるからという理由だけでなく局の雰囲気に包まれていたかったんだと思う。ADの五年を経てディレクターとして制作プロダクションへ入社した私はスタッフはもちろん局アナにも指示を出す鬼ディレクターとなった。言葉を選んで台本を書き、たくさんの番組に就いた。もちろん緊張をほぐすゲストとの打合わせは変わらず私が楽しくて。あちこちぶつかりながら闇の中を走っていた私の灯りとなった「金の言葉」で今度は私が誰かを灯す。

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