【努力賞】
【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
仕事をして、気付いたこと
福島県  小池純子  55歳

最近私は、障害者支援サービスB型事業所で働いている。私がこの職場を選んだのは、若い頃心の病を得、その後時間をかけて回復した経験があるからだ。私の人生の何かしらを、他の人の役に立てる場を求めていたのだ。

どんな職場でもそうだが、共同作業所でも思い通りに行かず、うまくいかないことが起こる。私の物覚えが悪いのと、関心のポイントが他の人と違っていたりするからである。私は、人の気持ちに関心が行きがちになる。

仕事をする時、仕事の完成は勿論大切だが、わたしにとっては、途中のプロセスも大切だ。仕事は賃金や対価を与えてくれる。プロセスは、目に見えない人間関係の体験という宝物を与えてくれる。人によって大切にするものは違う。誰一人、同じ人間がいないのは素晴らしい。その違いを個性と言うのだろう。その個性を出し合い仕事をするのだから、ぶつかる事もある。簡単にいかないのは当然だ。特に障害や病気は、一人一人を彩る強烈な個性のうちの一つだ。普通や健常と呼ばれるエリアにおさまり切らないのだ。大まかに言って、障害や病気は困った状況を指す。困っているのは、本人と周りの人だ。その困った状況を悪いと見るか、良しと見るかで両者の困り方と、その後の展開は大きく変わってくる。

見方は、何に価値を置き、どう判断したかを表わしている。どう考えたかで、感情や態度も変わってくる。感情や態度が変われば、幸福度や困り具合も変わってくる。

見方の大部分は、子供のうちに無意識に家庭や地域の文化を吸収したものだろう。判断している事さえ気付かずに、家族と同じか反発する決断をしている事も多々ある。私は、子供の頃、曾祖母と祖母が互いの欠点と未熟を指摘し続け、年中喧嘩するのを見ていて、喧嘩が嫌いになり、喧嘩の原因を探りやめさせようとした。しかし、それは祖母らと同じ、長所を見ずに欠点を直そうとする発想だった。その生き方は苦しい。思春期に私は心身症になった。自殺企図の為入院。病棟は障害や病気の人で溢れていた。私も同じ困った人の立場を身をもって経験した。当時、私は将来に絶望していたが、その絶望は間違っていた。退院後、良き上司に出会い就職、主人に出逢い結婚。子供達に恵まれ、地域友人に恵まれ、様々な仕事を体験する機会にも恵まれた。今は、私を育て支えてくれた家族、親戚に心から感謝して生きている。私の絶望は、無知と経験不足と思い込みでできていた。

通信で心理を学びながら、知識を増やしていった。生活の為に色々な職場で働き、様々な人と仕事をする中で、人とぶつかり許す経験をし人間関係が広がっていった。自分の思い込みに気付いて変える経験が出来たのは、子供が行方不明になった時だ。打つ手が無い時、出逢った本に願いが叶うのは、すでに叶った時の状況を鮮やかに想い浮かべ、叶った時の喜びと感謝の感情でいっぱいになっていることが大事と書いてあった。難しかったが必死でやり、願いが叶った。物心ついて初めて、感情をコントロール出来た。

その後、現在の職場に転職した。それまでの私の人生を少しでも役立てられるのでは?と考えたからだ。しかし、実際は、簡単に同じ効果が出るはずもなく、転職の度、人間関係も仕事のスキルも一からやり直しだ。願いが叶う喜びと感謝の経験も火事場の馬鹿力的だったかも知れない。そのやり方も万人に効くはずもない。でも変化を恐れない。

喜びと感謝が導く成功の経験は強烈だった。私の中では、利用者さん達の強い個性の輝きに匹敵する強さだ。毎日職場で新しい困難と強い感情の嵐を経験する。しかし、それも良しだ。障害と病気というレッテルも何のその、強い個性を発揮して生きる利用者さんの笑顔は眩しく美しい。情け容赦ない感情の発散で、私の心が痛んでも、痛みの奥にある願いを感じとる訓練だ。毎日、痛みと困難の中で喜びと感謝を感じる練習が出来る有難い職場だ。

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