【努力賞】
【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
わるぐちからのきっかけ
山形県  百瀬麻友  47歳

あるサークルの集まりで、昔、わたしがバスガイドという職に就いていた話をしたら、「えっ?」っていう顔をした人がいた。正直だなあ。わかっている。声に出さなくっても、何を言いたいのか感じ取れる。もうそんなことは慣れっこだ。その心はこうだろう。「そんな顔なのに、バスガイドだったの?」自分でも、きれいとか、かわいいわけでもない顔なのに、五年間もバスガイドという職業に就けたのは、ある意味奇跡であると思っている。

でもなぜこのような、他人も首をかしげるような異種世界に飛び込み、五年も続けられたかというと、自分の得意なことをみつけたからだと思っている。

入社したての頃は、お客様に親しまれるバスガイドになりたいと、自分なりのバスガイド像に希望を持っていた。しかし、それは、ものの見事に打ち砕ける。

特に学生相手には思いは伝わらなかった。中学・高校生は必ず、バスガイドの品評会をする。若いか、かわいいか。それはとっても重要なことみたいだ。挨拶でさえ反応なしの無視は心が打ち砕かれ、客席マイクを使って「ガイド交換、チェンジ」「うへえ、最悪」「あっちのガイドのほうがいい」などと何度言われ傷つけられたことか。なぜ初対面の人たちにこんなことを言われなきゃならないのか。みじめでつらかった。何度辞めようと思ったか。でも、せっかく憧れの職業に就いたのに、こんなことで辞めて後悔しないのか悩んだ。ガイドの仕事をキライになって辞めるのは癪だった。と言っても、なにもアクションを起こさず、ただ時間の流れが速くなるようにと思うだけであった。

同僚からも「ブスは大変だね」と言われたこともあり、なんて場違いな場所にいるのか、バスガイドという世界はかなり厳しい世界だと実感した。しかし、この同僚のひと言が、わたしを奮起させたのである。もう、この世界にしがみつくのは辞めよう。バスガイドは辞める。でも、やることをやってから辞める。そう決心したのである。バスガイドになって一年目の冬のことだった。

問題はこの外見。整形する時間も金もない。顔で損している分を、どうしたら生徒の気持ちをつかむことができるか。考えた末に、開き直って、ブスを悲観するのをやめ、生徒たちに心を開き歩み寄っていった。

「みなさんの修学旅行に、わたしがバスガイドとして出会ってしまったのは、しょうがない運命なんです。でも、それを受け止めてください。ガイドがブスだから修学旅行がおもしろくないなんて言わないで、自ら楽しんでください」

極めて恨み言にならないように、笑顔でこう言うようになったら、生徒の心をつかむことができるようになった。車内では協力的になったのである。お別れの際には「バスの中が楽しかったよ」と言ってくれる生徒も現れ、お礼の手紙が後日届くようになった。一生懸命やれば相手には伝わるものだ。それが今まで足りなかった。拒否されるなら拒否されたままでいいじゃん。そういうひねくれた考えがあったかもしれない。

それからは、仕事に対して意欲が出てきた。バスガイドを辞めるのを辞めた。そして学生との関わりが好きになった。劣等生だったわたしが、時間はかかったけれど、この仕事を天職だと思えるようになった。

生徒からの手紙や写真、色紙などは、今でも大事に取ってある。あの頃に出会った人たちは、どんな人生を送っているのかなと思いだすこともある。

辞めるのは何か成果を残す、一期一会を大事にする。これらが社会人になって働いてから学んだことだ。これからも心にとどめて、大事にしていきたい。

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