【努力賞】
【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
昭和〜平成にかけて悩んだ者の苦悩
広島県  ゆう  41歳

全国に70万人いると言われている若年無業者。引きこもり・ニートという異名もあるが、皆、そうなるに至った理由は様々だ。私の身近にも、そうした者がいる。

学生時代にいじめを受けて、家に引きこもること25年間。40歳になった友人は、ようやく先日から働き出した。昔、クラスメイトだった私は友人が登校拒否をし出した当時から連絡を取り、高校に進学して卒業後、社会人になっても年に数回は電話をかけてきた。放っておけなかったのである。負い目があったからだ。友人がいじめられているのを、当時かばえなかった。かばって、いじめの矛先が私自身に向くのを恐れたからだ。

友人のご両親は健在。そして兄と妹がいる。その二人とも就職をして、年頃になると結婚した。友人はパラサイトシングルを続け、30歳になった時「私は生きていても役に立たない。遅くとも40歳までには死にたい」と言うなど、年を重ねるごとに卑屈になっていった。しかし40歳になった時、はじめて友人から電話がかかってきた。そしてたった一言、「私、仕事する」と言ったのである。

彼女はコンビニエンスストアでアルバイトをした。しかし、なにせ初めての労働。数日で辞めてしまう。ご両親も私も気が気ではなかった。その挫折で、もう彼女は一生、引きこもってしまうのではと思ったからだ。

けれど、彼女の働く意欲は強かった。すぐ別のアルバイトを始め、今度はスーパーマーケットで働きだしたのだ。彼女から届くメールは連日に渡って『疲れた』『しんどい』のオンパレードだが『がんばれ』とは返せない。

十分、頑張っているからだ。『すごいじゃん』『よくやったね、お疲れさま』と労うことにして見守り続けた。

そして初めての給料日。カフェでお茶をしながら、彼女に働くことになったきっかけを聞いたら、答えはこうだった。

父親が定年退職を目前に病に倒れた。病院に駆けつけたら、ベッドの上で彼女の父は、痛みをこらえながら言ったという。「大丈夫だ。退院したらすぐ働いて、今まで通りお前を守っていくから」と。そこでやっと自分の不甲斐なさをひしひしと痛感したのだという。

彼女の「今度は私が守る番なんだよね」と目を潤ませていた表情が印象的だった。そして、「私がひきこもっていた時代は、何の術もなくて、ただ毎日が過ぎるだけだった。支援やサポートに、年代格差があると感じる」と言っていた。

私が提言したいのは、日当たり・肥料・水分という環境が整っていても、土台となる本人の心が、しっかりと環境という土に根っこを張っていないと、育たないということ。働き方をめぐる以前の問題に提言したい。心に寄り添うケアの態勢が不十分に思う。特に未成年である時に、とりわけ昭和から平成に変わる時代にひきこもりとなってしまった場合、かつてない専門的なサポートが必要なのではないかということ。事実、彼女が引きこもった当時、地域や自治体に今のような支援体制はなかった。ご両親が相談する専門家や場所もなかったように思う。今ひきこもりの状態にいる若者は、何かしらの支援が受けられる。しかし、何の道しるべもなく、助け舟がない時代にひきこもってしまった人は、今引きこもっている人と明らかに違う闇を心に抱え背負っている。家族が倒れるなど衝撃的なことがない限り、一歩踏み出す勇気は起きないだろう。

現在時点で、40歳以降のひきこもりに新たな対策をとるなど、時代背景を振り返った年齢によっての線引きと、現在20〜30代のひきこもりとは違う、新たな対処法が必要になるのではと考えている。人生80年と言われるが、その折り返し地点でもある年代なことから、あらためて抜本的な対策を取ってほしいと願ってやまない。

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