【入選】

【テーマ:仕事を通じて、こんな夢をかなえたい】
年齢をいいわけにせず、やりたいときが青春期
神奈川県  ひむろっく  49歳

私の上司は年下である。また或る年、私の上司はアメリカ人の女性であった。日本が加速し続けるグローバル化の波を受け、自国だけではなく世界を相手にビジネスする企業も急増中。それにともない、海外から日本で働く人材を求める企業も多くなり、年齢、性別、国籍を問わずやりたいことをやりたい国、企業で叶えるというニーズが派生してくる。

私は20数年以上にわたり、外資系企業のITエンジニアとして世界をまたにかけていた。5年前までは…しかし、収入の増加に伴うプレッシャーは身体を蝕む。ふとこのままの人生でいいのか、という雑念が脳裏に浮かぶ43歳の春。決断は早くその翌月には退職を願い出る。幸い生活費は当分の間、心配ご無用であった。

自分の時間というのは無尽蔵にあると、こころに余裕が生まれ、生来の学ぶ意欲がわき出てくる。「そうだ、教員を目指そう」

当面収入の心配をする必要がないので、本来の好きなこと、やりたいことにフォーカスして考えることができた。退職して5年くらいはボランティアなどで子どもたちと関わって充実した日々を送ってきた。しかしボランテイアは収入に見合う責任がない分、やりがいも半減していた。気さくな面も認めながら自分の立ち位置としてもう少し社会の重責を全うしたいと考えていたとき、子どものころの夢である教員を目指そうという気もちが湧きあがった。48歳の春に大学の門をたたき、よく年には小学校へ4週間の教育実習へ。

実習先の副校長先生から受け入れ時のご挨拶で言われた言葉が印象に残っている。

「実習生としてこの学校で最高齢であり、担当教員は一回り若いので受け入れに戸惑いました。」と。

「体力や気力には自信がありますが、年齢は私の努力では、どうすることもできません」と返し、お互い苦笑いのご対面でした。

実習が始まると、実際年齢の事は杞憂に終わった。それは受け持った2年生の子どもたちの素直で純粋な学びの姿勢であり、担当教員が年齢を意識せずに対等に指導してくださったから。躾の行き届いていた子どもたちのクラスだったので、とても教えやすかったのを憶えている。ある給食の時間に私がお変わりをするときイスを出しっぱなしで席を立った瞬間、隣の子どもがイスを戻してくれたときは、躾が行き届いているな、と感謝を伝えると同時にさすがに教師を目指す者としては、背筋が伸びる思いをした。こんな素敵な子どもたちを指導し学級経営ができる小学校の教員になりたいと強く思った49歳の春。最終日は子どもたち主導によるお別れ会を催してくれた。父の葬儀以来涙を流していない私は子どもたちの涙に、自然と涙腺から多量の水分が流れ落ちたのを感じた。

「その歳で教員ですか、しかも異業種に転職で」周りの多くはそういう反応だった。

同世代からも「もう年だから」や「今さら」という声を聞くようになった。

でも、私の人生で久しぶりに止まっていた夢時計が動き出したのだ。

「今さら」を「今から」に変えていつかやりたかった教員を目指す決断からもうすぐ2年。可能性を信じ実行、努力することが何歳になってからでも大切であることを実感している今日この頃。

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