【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】
それは、入社して3年目のことだった。営業職としてそれなりの結果を残し、取引先ともいい関係を築いていた私はどうしても内勤の上司と合わず、喧嘩ばかりしていた。自分は間違っていないし、先輩たちだっていつもあの上司は嫌いだと言っているし、私を理解しない上司が悪いのだ。そう思っていた。実際、今で言えばパワハラの域に入る横暴さだったと思う。でも、意地を張って、虚勢も張って体も心も限界に近づいていた。 そんな状態がしばらく続いたあと、私だけに異動の辞令が出た。私は、上司から離れられることに心からほっとし、そして、なぜか自分は間違っていなかったと会社が認めてくれたように思った。周りのみんなは「今まで辛い中よくやってきたよ。これからは新しい部署で頑張ってね」と言ってくれた。ただ一人を除いて。 その先輩は言った。「お前さあ、今回のことで自分を正当化するなよ。10:0で相手が悪いなんてことは絶対にない。営業職が大好きだったんだろ。好きだったのに、異動するってことはやっぱり失敗だったんだと思う。失敗したことをまず認めろ。そしてなぜ失敗したのか、次はどうしたら苦手な相手を手のひらの上で転がせるようになるのか、死ぬほど考えろ。今しかそれはできないし、それをしない限り、絶対に成長しないから」と。 「ただ相性の悪い上司と同じ部署になって、苦労していただけなのに、私が失敗した?この人は一体何を言っているのだろう……。なぜ、そんなことを言われなくちゃいけないんだ」反発する気持ちが強かった。その先輩は営業に何度も同行させてくれ、営業の基本を教えてくれた人だった。納得いかない気持ちを抱えながらも、何かとても大事なことを伝えてくれていたような気がして、来る日も来る日も考えた。そして、気がついた。「ああ。世の中には相性がよい人間ばかりいるわけじゃない。自分と合わない人をこの人は合わないから嫌い、理解し合えないと決めつけて、『自分のやり方』を貫き通したことが失敗だったのかもしれない。私は営業の仕事が好きだった。もっとやってみたかった。それならば、合わない上司が私のためにどうしたら仕事をしてくれるようになるかをもっと考えなくてはいけなかったのか。『自分のやり方』にこだわることで本当に大切なものを失うこともあると言いたかったのかもしれないな」と。 その後、私は同じ会社で25年以上働いている。いくつかの部署を経験し、結婚して3回の産休育休をとった。今ではいろいろな部署のちょっと面倒な人との交渉係として一目置かれるようになった。昔に比べたら、かなりの成長だ。ただ、人間として大きくなったわけではない。今も嫌いな人は山ほどいるし、感情の起伏も激しい。でも、それがバレないように立ち振る舞えるようになった。そして、苦手な人とは上手に距離を取るようになり、協力してほしい時には本人に上手にお願いしてみたり、周りの人を巻き込んで断れない状況を作ってみたり、上司に直接交渉してみたりといろいろな方法でアプローチすることを学んだのだ。会社生活を送る中で、社会とつながり、さまざまな人と出会い、いろいろな考え方を学んで、ようやく一人前の会社員になれたのかなと思う。 『失敗』を認めたことが、私にとっての会社員人生の第一歩だった。あの時、先輩が言ってくれたことを素直に受け止められたのは、若かったからだと思う。「こんな上司とやっていけるか!」「こんな会社大嫌いだ!」と思った時にこそ、一回立ち止まって、何がうまくいかない原因なのか必死で考えてみてほしい。その会社でやり方を変えて勤め続けることもよし、転職するもよし。自分の中で出した答えは必ずあなたの力になる。若くて元気もあって、吸収力のあるあなた達とともに私自身も成長していきたいと心から思っている。