【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】

歯車の爪
東京都  をん。 30歳


 「歯車的に働きたいんです。」
 5年前、事務仕事を希望して転職した時の心の声。人との関わりの中ですっかり心がすり減ってしまっていた私は、ロボットの様に仕事に向き合いたいと思っていた。
 前職は障害のある子供たちに対しての発達支援。子供は好きだったが親御さんとのすれ違いから無力感に苛まれ苦しんだ。自分にも障害をもつ弟がいて、教員免許だけは持っていて、理想論だけ掲げていれば出来るような気になっていたのかもしれない。実際の現場はそんな甘いものではなかった。
 
 転職を決意したときは諦観の気持ちが強かった。ただ生活していく報酬を得るためだけに働きたいと望んだ。他に目的はなく、働ければそれでよかった。
 「歯車的に働きたい。」
 ぼそっと1人本音が出たとき、死んだ魚のような眼をして履歴書を書いていた。
 
 「前職のシフト勤務では体力的な問題からいずれ限界がくると感じておりました。今後は仕事とプライベートの時間をバランス良く確保しながら幅広い業務に挑戦させていただき、長期的なキャリア形成をしていきたいと思っています。」
 本音を挟みこみながら綺麗な建て前を作っていく面接。
 八方美人な物言いに我ながら虫唾が走った。結果は採用。それから私の歯車人生が始まった。
 
 転職したのはわずか10人にも満たない小さな会社。男所帯に飛び込んだ女1人。社長と二人きりの事務所内での仕事内容はまさに「萬屋」だった。ものの修理から整理整頓から話を聞くことまで、何でもやる。給与処理や社会保険手続き、請求書の作成から客先への挨拶、クレーム処理、書類作成、備品管理と、それらしい仕事もあったが会社の利益とは結びつかない仕事だった。利益と直接関係がない仕事ゆえに、自分の仕事の意義が見えづらかった。働いて利益を生み出している他社員への申し訳なさと自己否定の気持ちで苦しくなってしまった私は「ここでもか」と思った。歯車として働きたいなどと考えていたのに、いざ動いてみれば歯車の爪にすらなれずツルツルと空回りし、組織の一員として機能出来ていないような気がして心が曇った。
 
 2022年10月、会社が倒産した。晴天の霹靂。社長の死去により会社解散が決まった。当事者として取り乱しながらも、社員の今後だけは何とかしないとと、必死になって手続きを進めた。社長の亡き後、社内のこと諸々が分かるのは私だけだった。残務整理は苦しいが、やっと自分の仕事を成果として認められる時間になった。
 「あなたがいなければ進まなかった」
 破産管財人の言葉に心から救われた思いがした。
 「あなたがいなければ退職と転職さえ進まなかった、ありがとう。」社員から、感謝の言葉とともにもらったチョコレート。今までで一番甘く美味しかった。
 
 自分の仕事が誰かのためになっていたなんて、こうなるまで気が付かなかった。
 終わってから気が付いた。一員だった。きちんと社員だった。歯車の中で働けていた。
 
 今私は契約社員として働きながら残務整理を進め、正社員転職を目指している。
 これからの私の仕事人生はまだ分からない。不安もたくさんある。これから人に迷惑をかけるかもしれず、自分に自信が持てないかもしれない。働く中で落ち込むことも勿論あると思う。
 それでも、歯車は独りよがりでは動かないことを知った今、きちんと動けると思う。自分が動いて、人が動いて、協働している。地味でも、毎日毎日回って何かしらのエネルギーを放出していると、今なら信じられる。
 
 これからも諦めずに人の中で動いていたいと思う。歯車を回し続けていたいと思う。

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