【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】

愛を込めて、清掃員の世界を歩む
早稲田大学  風織ケン 20歳


 私はこの年になってやっとわかったことがある。清掃員は地面のゴミを綺麗にするだけではなく、自身の心も綺麗にする、深い喜びをもたらす仕事な気がする。
 早朝の新宿で、今日もゴミを拾う。時折太陽が雲から顔を覗かせ、空に浮かんだ雲がゆっくりと流れるのを見る。
 「何のアルバイトをしているの?」と問われるたび、私は短く飲食と答え、その場の空気を上手に逸らすことにしていた。
 清掃員は、世間一般で社会の下層と位置付けられているイメージがあるので、そう自分にもラベリングされるのを恐れたということでは全くない。ではなぜか。清掃員の仕事は人々の意識から抜け落ち、影の如く誰からも見向きされないことこそに、美しさや意味があると、考えていたからである。ビールの空き缶やチップスの袋を拾っている。「飲食を扱っている」は過言ではないだろう。
 エーリッヒ・フロムの『愛するということ』に感銘を受け、「遍く人間を愛する」という彼の主張が深く胸に刺さった。世界一利用客数の多い駅を有する新宿の地でなら、彼の説く愛を自分のものにできる気がして、夏も終わりの頃、清掃員になった。
 秋深まるある朝、道に捨てられたゴミから、人々の生活の断片を垣間見た。それぞれのゴミが、人々の喜びや悲しみを秘めていることに気づいた。落ちているライブチケットを見ると、持ち主の興奮の余韻を感じるという具合に。ゴミを拾いながら、私は人間の営みに対する理解を深めていける気がした。
 冬真っ盛りのある朝、清掃中に1枚の踏まれた写真を見つけた。靴跡が写真全体についていた。幸せそうな、ケーキを囲んだ家族の満面の笑顔が写ったものだった。両親と小学生っぽい2人の子どもの家族は、どんな軌跡を持っているのだろうか。彼らの夢や希望に思いを巡らし、自分の将来についても考えるきっかけになった。
 春の訪れを感じるある朝、いつものように清掃していると、1人の少女が近づいてきた。家族連れの外国人観光客だった。空港に向かうのかな。そう思っていると、彼女が私の真正面に立ち、手を差し出した。その手には、ペシャンコに潰れた1つの空き缶。彼女はそれを私に差し出して「テンキュー」と微笑んで言った。彼女と同じ目線の高さに合わせようとかがんだ瞬間、ビル風が彼女の髪をなびかせ、太陽の光が彼女の輪郭を繊細に照らし出した。多分これを幽玄というのだと思う。風、光、この世界の壮麗さに深く魂が揺さぶられた。
 もちろん、感謝されることは嬉しい。しかし、別に何か見返りを求めて、人から感謝されたくて、清掃員をしているわけではなかった。清掃員という世界に踏み出し、誰に気づかれなくても、私にとっての学びがあれば満足だった。だが、実際にこんな感謝をされると、私には込み上げてくるものがあった。以来、自分のバイトを聞かれた時には、素直に清掃員と言うようになった。私が愛を込めて奉仕してきたすべての人たちは、こんなにも美しいのだと伝えるために。
 清掃員の仕事を通して、この世界に美しさをもたらせる人になりたいという想いが芽生え始め、私の夢となった。この夢を追い求めるために、自分が意識的に感じ、経験することを大切にするようになった。
 清掃員の仕事は、人間の喜びや悲しみを見ることで、自己と向き合い、愛と自己理解を深める道だった。この仕事は、私に人間の弱さと美しさ、その矛盾を感じさせてくれた。人々の喜びと悲しみが交錯する空間〈新宿〉で、人生は連続した短編集の如く不完全なものだと教えてくれた。すべての人間を、いや、この世界のすべてを愛する生き方を教えてくれた。
 これからも、清掃員の仕事に励み、世界に愛を持って接していきたい。自分の存在が世界に美しさをもたらすよう、新たな気づきを探究し続けたい。
 あの写真を見つけた朝、交番にそれを届けてみた。それが無事に家族のもとに届いていることを想像しながら、私はまた、新宿の朝を迎える。

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