【 一般社団法人 日本産業カウンセラー協会 理事長賞 】

人生の中の止まり木になりたい
兵庫県  成和井 創 35歳

私は農業法人で役員をしている。後継者がいなくなり、荒れ果ててしまった農地を引き受け、農薬・化学肥料を一切使用しない有機農業を実践しながら、その理念に共感してくれる消費者とつながり、直接取引で野菜を販売している。顔が見える農業は、相互理解による対話の中で、消費者が必要としているものをその要望などを聞きながら生産活動に反映できるのが大きな魅力といえるだろう。
 会社法人として営利事業を行う傍ら、雇用関係が生じない「止まり木研修生」という形での受け入れも行っている。古民家を改修し、若者の活動拠点のような形で一般開放をしており、ここ数年の傾向としては精神的な病気を発症して会社を退職した若者たちの駆け込み寺のような役割を果たしている。不登校の中学生がインターネットで私の活動を知り、自ら応募してくるようなこともある。大きな古民家なので、二階の大広間も含めて最大20名は宿泊できる。1日4時間ほど農作業を手伝ってもらう代わりに、宿泊場所と1日3食の食事を提供しており、両者の間には金銭的なやり取りは発生しない。雇用関係がないので、あくまで対等な関係性だと言える。宗教的・政治的な側面は一切なく、悩んでいる若者たちの場づくりになればいいと思い、試験的に始めたことが今年で7年目を迎えている。
 農業は、地域の課題に触れたり、人と人との関わりの中で事業を進めるものだ。社会課題を解決する「ソーシャルビジネス」であり、自然との触れ合いの中で滞在者が抱える課題を見つめなおすような機会も生まれているようだ。農作業をしながら、私はなるべく相手の話を聞くようにしている。
 精神を病んで会社を辞めることになった若者に共通して言えることは、みんな真面目で努力家であり、総じて高学歴であることが特徴的だ。「いい大学に入って、いい会社に入れば幸せになれる」という価値観を押し付けられ、「周囲から求められたレールに乗ることが成功をつかめる第一歩だ」ということを疑わずに生きてきた人が多い。周囲の価値観で生きてきた人ほど、ほんの小さな失敗や歪みで人生から立ち直れなくなってしまう。「会社を辞める」「自分の人生を踏み出す」という選択肢が、まるで人生の競争から脱落したダメ人間のように扱われてしまうようだ。
 かくゆう私も、国立大学を卒業後、大手企業組織の中で歯車の一員として働いた経験があり、その中で精神を病みそうになった経験がある。当時は死に物狂いで結果を出そうと努力したが、報われなかったことで精神的に追い詰められてしまい、結果として会社を辞めることになってしまった。私は当時の経験を若者に話したりして、アドバイスをする機会も多い。
 「若気の至り」「若さゆえの過ち」という言葉がある。後から振り返ってみればそれほど大問題ではないことでも、その時には心を病むほどの辛い経験に思えることもある。そんな時、話を聞いてもらえたり、辛さを共有できる大人が周りにいるかどうかで、乗り越えられる壁の大きさが変わることもあるだろう。農業を通して自然に触れ、人との関わりの中で自分を見つめなおし、元気を取り戻して再び社会へ戻っていく若者の姿をたくさん見ることができた。
 死ぬこと以外、かすり傷」という言葉のように、傷ついても何度でもチャレンジできるような社会になることが望ましいし、私はそのサポートができればと考えている。心を病んで立ち直れなくなった人も、自分の人生の意義について見つめなおす機会や場所があれば、私は何度でも手を差し伸べたい。私の農園が、そんな若者たちの居場所になりたいと思う。

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