【 厚生労働大臣賞 】

「ああ、介護とか?」
埼玉県立大学  SF 19歳

ひとつ、確かめてみたいことがあって、介護のアルバイトを始めた。
 「そういえば大学でなんの勉強してるの?」
 久しく会っていなかった親戚や知人と再会したときは、決まってこの類の質問をされる。「社会福祉だよ」と私が答えたあとに返ってくる反応も、まるで示し合わせたように同じだった。
 「ああ、介護とか?」
 それに対して私は、何かしらの補足、あるいは訂正を試みたくなってしまう。
 「まあ、それもあるけど、他にも、児童福祉の分野とかもあるよ。病院にだって医療ソーシャルワーカーっていう、社会福祉の専門職が置かれたりしてて」
 許されるなら、もっと付け加えたい。私は社会福祉士になりたくて社会福祉を勉強してるんだけど、社会福祉士って、生活を営むうえで何かしらのつまずきを覚えた人の相談に乗って最適な支援を探っていく専門職なんだよ。もしかすると、福祉イコール介護職って印象が強いのかもしれないけど、社会福祉士に現場仕事の要素はあんまりないかな。あと、もちろん介護に関する相談にも乗るけど、もっと活躍できるフィールドは広くて、さっきも言ったように児童福祉分野で働いてる社会福祉士さんもたくさんいるんだよ──そういうことを、ぜんぶ言い切りたい。
 どうして私は、福祉と介護を一直線に結びつけられることを嫌うのだろう。「介護とか?」と聞かれて「うん」と即答できないのだろう。もしや、心のどこかに介護職を軽視する感情があるのだろうか。確かめる方法はないだろうか、と思っていたところに折よく目に飛び込んできたのが、訪問介護のアルバイトだった。
 介助のお相手は、四肢に麻痺を抱えながらもひとり暮らしを営んでいる六十代女性だった。初日は先輩の手際を観察して、翌週から本格的に介助に入った。仕事内容は簡単な家事から食事介助、トイレ介助など、多岐に渡った。結論から言うと、私はその仕事を少しも卑しいと思わなかった。食事をこぼさず口に運ぶのは難しかったし、慣れない器具を操作しながらトイレ介助を行うのは大変だったけど、そうした困難をやり遂げて人ひとりの生活を進めていくことの新鮮さ、充実感はすさまじかった。介助の合間にする女子トークも、本当に楽しかった。
 「どうかな、続けられそうかな」
 とある日、トイレ介助を終えると、女性が心配そうな顔でそんなことを尋ねてきた。
 「やっぱりこういう仕事にはトイレ介助がつきものだからね。昔、『私、若いのになんでこんな仕事しなきゃいけないの』なんて言ってやめちゃった学生さんがいてね」
  あっ、と思う。そのとき、わかってしまった。私が「介護とか?」に「うん」と即答できない理由。差別意識からではなかった。純粋に、怖かったのだ。世の中の介護職に対する負のイメージを自分に当てはめられることを、恐れていた。低賃金。肉体労働。オムツ取り変えるとか、絶対やりたくない。そんな仕事をするやつは底辺だろ──ネットサーフィンの際にいくつも見かけてきた言葉。「はい」と答えてしまったらそれらの言葉がすべてまるごと自分に向けられるのではないかと恐れて、必死に社会福祉士と介護職の相違点をプレゼンしていた。情けない、と思った。両者の必要以上の区別を行っていた私も、立派な差別主義者になる寸前だったのだ。
 まずは何もかも、真正面から受け止めることを始めたい、と思った。
 「ああ、介護とか?」
 この問いに対する私の一句目は「まあ」じゃない。「うん」、一択だ。
 「うん。介護のことはよく学ぶよ」
 次に聞かれたときは、こう答えられるようになっているといい。
 新たな夢もできた。社会福祉士とは、生活を営むうえで何かしらのつまずきを覚えた人の相談に乗る専門職だ。その活躍フィールドは広く、時には労働者の人権問題にも介入していく。私は介護職のように、負のイメージがつきまといがちな職業へ向けられる差別と戦う社会福祉士になる。

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