【 佳   作 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
楽しく働く、楽しく生きる
東京都  み つ や ん  26歳

いつからか頭痛や動悸を抱えて日々を過ごすようになった。ストレスなのか病気なのか、恐れと疑いを抱きつつも病院に行くための時間すら取れない。いわゆるIT業界と呼ばれる職業に就いて数年が経ち、過労死ラインを超えて仕事する日々で冗談でもなく自身の生死を考えるようになった。


業務を効率化して時間外労働を減らす手段を提供する仕事なのに、提供する側の時間外労働が多いとは皮肉な話だ。ミイラ取りがミイラになると言うように、さながら私は現代のミイラ取りだ。


「過労死ライン」という言葉が社会に浸透して久しい。一般的には時間外労働80時間を示すこの死線は、「これ以上働かせると危険」という長時間労働を抑制する予防線だが、「ここまでなら働かせても問題ない」というピアノ線のようにも思える。勢い余って突っ込んだら無傷では済まない。


過労死ラインに対して「もっと働かせてくれ」という人もいる。逆に過労死ラインを超えなくとも「働くことが辛い」と怠慢ではなく感じる人もいる。私はどちらかと言えば後者だ。


周りも同じように長時間働いているはずなのに、私は同じように仕事ができない。頭が痛い、胸が苦しい、仕事に集中できない、追い込まれた人間が効率良く働けるはずもなく、仕事が遅れることでさらにプレッシャーが増える悪循環となる。


そうした自分に対し「周りはちゃんと仕事ができている。自分も頑張らねば。」と無理矢理鼓舞して働いてきた。時間外労働は増え、家族や友人と過ごす時間は減った。


仕事だけの日々。


誰のために働き、何のために稼ぐのか、月並みの悩みを抱えながら心身は疲弊していった。仕事に忙殺されていた私は文字通りに忙しさに殺されかけていた。限界を迎えた私が退職の相談をした際には、


「沢山の人に迷惑がかかるから」


「ここで逃げるとこれから大変だよ」


こうした足止めの数々が決断を鈍らせ、仕事を続けることにした。その結果その時以上に忙殺されることになった。


今ならその足止めを振り切って、自分を大事にすることを優先するだろう。ただ、当時は退職後の未知への不安、周りへの迷惑に苛まれ、足止めを食らってしまったのだと思う。本当はそんなこと気にしなくていいのだ、死線を前に視線を気にする必要はない。


走るのが速い人、遅い人がいるように働き方にも向き不向きがある。頭の良い人が求められたり、身体の強い人が求められたり、環境によって求められることも異なる。それぞれが自分に合った働き方を見つけられることが望ましいが、自分には合わないと感じたところで不用意に職を変えることは一般的にはまだ勇気が必要な行動だと思う。


しかし、退職の相談から1年後、私は仕事を辞めることにした。今度は相談ではなく決断だった。働き方も十人十色、ブラックに染まりかけた自分をムショクにし、もう一度自分に合った色を見つけることにした。


ひとまずの目標は、『自分が楽しいと思える日々を1日でも多く過ごすこと』だ。人によっては笑われるかもしれない些細な目標。そのためには、やはり生活の大半を過ごす仕事を楽しめることが重要だと思う。


組織を変えるとか、世の中を変えるとか、今の私にそんな力がない事は自覚している。だから、まずは自分を変える。そして周りを変えていきたい。


『周りの人間が楽しく働けるようにすること』

『世の中の一人でも多くが楽しく働けるようにすること』


私の夢だ。頭痛や動悸を抱えた日々がこれからの行動の動機になってくれたから、これまでの仕事の全てに不満を言うつもりはない。ただし、これまでの働き方を肯定はしない。


幸か不幸か私はミイラになりかけたミイラ取りだ。同じように働くことが辛いと感じている人を手助けしてあげたいと思う。


「誰かが読んで、何かを考えるきっかけになってくれたらいいな。」


夢への足がかりにこれを書いている。

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