【 佳   作 】

【テーマ:仕事探しを通じて気づいたこと】
頑張り方の秘訣
石川県  加 藤 美 里  25歳

「仕事は我慢するもんなんだ。俺もなあ、いつも鬱になりそうと思いながらもお前らを育てるために頑張って働いてるんだ」

父親が酔っぱらうといつも言っていた言葉だ。私の家族は5人家族で、父親1人で5人を支えていた。今の時代では珍しく、父は外から家族を守り、母は内から家族を守るという体をとっていた。

少し私の過去の話をしたい。私は小さいころからたいていの時期にいじめにあっていた。今は発達障害と双極性障害という病名をもらって生きているが、私の小さいころにはそんな言葉はまだメジャーではなく、私の何かが悪くてみんなの気分を害していた。でもその何かは分からなかったから学校には行きたくなかった。いつも死んでしまいたかった。たまにぽつりと学校に行きたくないと話すと父親は決まって「俺はこんなにつらい思いをして家族を守ってるのにお前は逃げるのか」と言った。ああ、仕事も学校も逃げてはいけないんだな。苦しくてもやらなければいけないんだ。幼少期からこの思いを刷り込まれて生きてきた。

幼小中高といじめられ、やっとの思いで入った看護大学でも人間関係に躓いた。それでも逃げずに頑張った結果、大学3年生で精神科に入院することになった。そこで出会った医療者の方に支えられ、周りの人に適応していく術、自分のストレスに適応していく術を少し身に着けることができた。そして、平成30年4月、25歳という少し遅い社会人生活をスタートさせた。

社会人のスタートは順風満帆とは行かなかった。1ヶ月で仕事に行けなくなった。看護師は忙しく、冷たく当たられることも多かった。声をかけても返事がない患者を前にして、どうしていいかも分からなかった。ストレスから被害妄想も増え、職場で立っていることも難しくなった。私はこの事実を父親には言えなかった。私は我慢して頑張れないダメ人間なんだと自分を責めていた。

社会人になってすぐに家族に内緒で2ヶ月休職し、同じ病院の資材庫の手伝いから少しずつ社会復帰を図ることになった。そこで出会った洗濯場の方と仲良くなり、少しずつ自分の思いをその人に話すようになった。一生ここで働くのもいいかもしれない。そう感じるようになった。

そこで働いて2ヶ月、洗濯場の方に「あなたの本当にやりたいことはなんなの。これなら頑張れるぞって努力できる場所はどこだと思う」と問われた。この言葉を聞いて私は面食らった。「努力をできる場所」という言葉を初めて聞いた。置かれた場所で頑張るのではなく、自分自身が頑張れる場所を選ぶ。私は一生懸命考え、看護大学時代に健康な人への働きかけの難しさや楽しさを思い出した。幸い、私の病院には健診部があったため、そこへの移動をお願いして、今はそこで半年ほど働いている。

私の人生を振り返って、働くとは何だろうと考える。歯を食いしばって働いた父は正しい。素晴らしいと思う。でも、私にそれはできなかった。休職したときはそう思っていた。だけど、健診部での仕事で苦しいことや難しいことを私は歯を食いしばって頑張っている。

頑張れるなにかを見つける。「これなら頑張れる」の「これ」を見つけていくのが働くことなのではないだろうか。「これ」が趣味のお金という人もいればやりがいの人もいるだろうし、父親のように家族のこともあるかもしれない。もちろん、人間関係や職場環境など仕事の苦しさは複雑に絡み合っている。だけど、苦しくても頑張ろうと思える原動力を見つけて仕事をしていくことが長い人生の中で仕事を続けていく秘訣になるのではないかと感じている。

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