【 佳   作 】

【テーマ:仕事探しを通じて気づいたこと】
「できること」を仕事にするために
福岡大学  中 川 裕 太  21歳

周りができると認めてくれる仕事を続けてきたが、悩んだことはなかった−。


予備校講師でお馴染みの林先生が、今年の冬に放映されたテレビ番組で放った一言だ。挑戦していたことに見切りをつけ、予備校講師という自分が「できること」に30年間徹してきたことで、その仕事で悩んだことはないという。


僕は、映像制作ができる。脚本を書いて、それをもとに映画を作ることもできる。大学で法律の勉強をする傍ら、映画制作を趣味として始め、ここ3年間で6本ものショートムービーを手掛けた。更に、自分の映像を見た運動部の部員からPR動画を依頼され、それを彼らと話し合いながら数本制作するということもやってきた。現在も別の部活からの依頼を受け、制作を続けている。その動画で部の入部者数に貢献できたことで、僕にとってそれは結果的にすごく自信になったし、何より作り続けること自体が楽しかった。そして、その部の人のみならず周囲の人はみな映像制作を「できる」と認めてくれている。ある人は「逆にそれを仕事にしないほうが途轍もなくもったいない」とまで言ってくれた。


でも、僕はメディア関係や映像制作の会社に就職している自分を想像できない。


理由は、世間一般に言われている外面的なものと、僕自身の考える内面的なものという、仕事探しをしていくうちに気づいた二つの側面がある。


まず、外面的なものから話す。その業界独特の厳しさだ。タイトな制作日程、厳しい上下関係、顧客から求められる成功−。同期就職の中には、専門学校で本格的に知識を得て入ってくるものも少なくない。かたや僕といえば、いくら経験があるとしても趣味を広げた程度で、アマチュアの域を超えないことは自明である。それがわかっている状態でそこに入ったとしても、胸を張って仕事ができるだろうか。ただただ不安である。


次に、内面的な部分というのは、趣味を仕事にすることに対する不安という、自分の心情のことである。こう考えるのは、映像制作を始めたきっかけに帰結する。先ほども記したように、僕にとってそれは趣味であり、続けてこれた理由も単純に楽しかったからである。PR 動画制作も、同い年の人たちと対等な立場で会話しながら一緒に作り上げたからこそ、制作そのものを楽しめた。その楽しさがなくなり、1人で孤独感に苛まれながら作っていたら、恐らく投げ出しているだろう。仕事になると、制作を楽しむことはさらに難しくなる。業界の厳しさを知っているからこそ、どうしてもそこに踏み込む勇気がない。


周囲が認めてくれても、「できること」でもあり「楽しめること」でもある映像制作を仕事にすることが、果たして本当に良い選択なのだろうか。会社に入ったとしても、折れずに勤めきることができるのだろうか。先の見えない難題に恐怖を覚え、臆病になっている今の自分が、たまらなく情けないとさえ思う。


だが、立ち止まっていても仕方がない。不安で悩んでいるよりも、今は前に進むことだけを考えよう。まずは今依頼されている映像を完成させていくことに集中する。そしてそれが終わったと同時に、二週間のインターンに参加しようと思う。実際に現場を見ることで、自分に足りないところや他に「できる」ことを見つけられるかもしれないと考え、ほかの業種ではなく、あえて映像制作会社をインターン先に選んだ。

自分の想像している以上に厳しい業界であることはわかっている。それでも、僕はどこか、期待しているのかもしれない。将来、「できること」「楽しめること」を仕事にしている自分の姿を。むしろ、そう思っていないと、エントリーシートの記入が進みそうにない。


今、人生の選択肢という大きな壁の前で、僕は悩んでいる。でも、その壁を自分の成長に変えていくしかない。とにかく行動に起こすという、今「できること」を続けながら。

戻る