【 入   選 】

【テーマ:仕事探しを通じて気づいたこと】
一歩前へチャレンジ
第一薬科大学  谷 川  葵  23歳

いわゆる発達障害と診断された私は、高校までは、非常に苦しい学校生活を送った。環境の変化になじめずパニックに陥りやすい。また、コミュニケーションをとるのが苦手で友人もできなかった。学習面では、脳で認知した図形を上手く表現することができなかった。すなわち、文字や絵が上手くかけないのである。

真剣に私に係わってくれた両親は、私の良いところを見つけ伸ばしてくれた。幼い時から理科だけは興味があった。小学校低学年から、いろいろな理科実験や観察をさせてくれた。コンクールにも出品し入賞したこともあり、幼心に大きな自信を持ったことを覚えている。

中学・高校で文字が上手くかけないのは致命的である。国語と英語で毎日居残り学習を強要され、部活動の生徒より下校が遅くなることが日常化した。コミュニケーションが苦手な私には好都合の逃げ口になっていたのかもわからないが、より孤立化を助長していった気もする。

苦行の高校を卒業後、私の唯一の得意分野を活かし、私立の薬科大学へ進学した。この大学は、いわゆるボーダーフリーの大学だ。どんなに語学が苦手でも、化学だけできれば道は開ける大学だった。

しかし、私にとっては非常に学びやすい大学で、水を得た魚のように毎日大学へ通うのが楽しかった。楽しいと、苦手な語学も思いのほか頭に入るものである。昨年の冬には、学会での発表も体験することができた。勉学に関しては、充実した満足した大学生活を送ることができた。

在学中、社会性を身に付けようとアルバイトの面接を受けた。だが、一度も勤務することなく辞退をした。見知らぬ人とミスなく作業をする自信が最後まで沸いてこなかった。自動車学校へも通ったが、元来の不器用さに加え、教官とのコミュニケーションを構築できず途中で免許取得を断念した。専門的学習以外すべてに自信を持つことができなかった。

最終学年となり、就職をどのようにすればよいか不安で仕方なかった。就職しなければと言う現実か

ら逃避したかった。大学で実施された企業の合同説明会にも参加せず、気を紛らわすため国家試験の勉強に没頭した。しかし、就活時期は待ってくれない。私の特性を案じた両親は、国公立病院等の受験を勧めたが、自信のない私はチャレンジすることにも消極的になっていた。それどころか、後ろ向きになっていた。大学院に進学したいとか海外へ留学したいと切り出し、現実逃避を試みたが、今回ばかりは魂胆が見え透いていた。

出願期日最終日、業を煮やした母親から写真を撮りに行くように促されたが、体が動かない。結局、言い訳を並べ締め切り時間が過ぎるのを待った。最後の理解者だと思っていた母親もあきれ果て、今まで私を育ててきた経緯や考えを口にした。興奮していた私には、母の伝えたかったことは何も理解できなかった。

翌日、改めて両親と会話を交わした。感情的にもかなり落ち着いた私は、両親の言いたいことが理解できた。

「今まで、人の何十倍も努力してやっとここまで来たのだから、自分を試すべきではないか」

「できないときは、その時考えればいい、不器用でもまじめに取り組めば、きっと周りは認めてくれる」

私は、はっとした。結局、今まで一度もチャレンジしていないことに気が付いたのだ。小学校4年で突きつけられた発達障害の診断を盾にし、目の前の壁から逃げていたことに気付いた。空気が読めないところもある。初めてのことが非常に不安に思える。すべてのことに自信がない。しかし、社会で独り立ちするための就活で、チャレンジしなければ前に進めないことに気が付いた。人生のターニングポイントの就活で脱皮を試み人生に自信を持ちたい。

働くことで自分を認めてもらうためには、まずはチャレンジすること。意を決し願書にペンを進めた。

6月24日、採用試験にチャレンジし、今、結果待ちである。合否はともかく、大きな一歩を踏み出すことができた。

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