【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
リハビリからボランティアへ〜夢をつないで
岩手県  サントレーヌ  60歳

社会との関わりも家族の為に主婦をする事も、絶望していた。病に急しゅうされ、片マヒ、言葉もはっきりしない。名前も書けない。スマホで写メすらとれない。車いすである。必死の思いで友人らに現状をメールした。リハビリ病院にかけつけてきた一人のママ友。子育て以降、趣味に打ち込んでいた私だったが、彼女は、NPOを立ち上げ、ボランティアで活動していた。「社会復帰しよう!」と励ましてくれ、あっというまに手伝うことになった。メンバーにはナースがおり、外出にはつきそい送迎してくれる。不安を見込したのか、きめ細かな対応であった。

NPO活動のはじまりは、東日本大震災であった。日本で支援活動の受け皿を海外アーティストの為に行ない、アートプロジェクトを展開、我々地元の若手のみならず、東北各地で行っていた。数々の現場に出向き交渉し、実現していく力強いボランティアメンバーは、親族を津波で亡くしたり、実家を失ったり、失意の中で何かしなくてはいけない、何とかしようという思いで動いていたのだった。避難所の小学校で寝泊りしていた私と娘を迎えに来て救ってくれたのもその一人である。恩人に恩返しするチャンスを得たのだ。

アートプロジェクトに来日し、支援活動していくアーティストたちは、彼女たちの心からの対応に感動、共鳴し、何度も来日して子供たちと創作を行い、学生を指導し、アートによる支援を体現してみせる。世界的評価の高いアーティストに一緒に創作したことは一生の宝となるであろう。得がたい体験とも子供たちは、ただ楽しく目を輝かせる一瞬にいるだけかもしれない。その笑顔が輝けばいいのだ。

不自由な体では、現場になかなか加われないが、企画ブラッシュアップに連絡後方支援など、自宅でできることを割りふってもらいながら、自らの経験、知識などを活用することになった。自己流でいじっていたパソコンスマホでの伝達には、当初から自信がなく、能障害の影響か新しい事が理解できず、時間がかかる。しかし、リハビリの一助になってくれたようだ。何もできない、生きるのが希望がない、脱する為とは、果てしないリハビリという世界から、現代社会の全世界のアートの世界へ踏み出せた。出会う人々は、普通に接してくるのも嬉しくありがたい。好きなアートや伝統芸能・芸術の話をできる楽しさは何にもかえがたい喜びであり、心のすきまを埋めてくれる。学生の頃の教科書までひっぱり出して、調べものをしたりもする。源氏物語の中で、宇治十條までチェックし「びわの声」という一文を見つけた時は、大はしゃぎしてしまった。20才の頃のように。好きなことは役立つのだと実感できたのも人生の宝をみつけたようだ。

ボランティアであり、家族あってのもの。

主婦業していくには、不自由な体で、バランスを崩すと転ぶし、入浴は全介助だ。料理もイージー手抜きしかできない。そういったことが自らの30年を振り返ると、くやしくつらい。家族は、自己責任、自己管理の甘さの結果だと言う。心はしぼんでいくばかりだった。自らに折り合いをつけるすべもない。しかし、アートプロジェクトを通じ、人々と接し、新しい心の扉を開き光をみせてくれる。感謝しかい。今は、働くということの社会通念からは遠いかもしれない。しかし、いつか自立し、足具をつけず、つえもなく、物を持ち、歩んでゆきたいと思っている。きっとミラクルは来る、いや引き寄せる、そうただ信じている。

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