【 奨 励 賞 】

【テーマ:現場からのチャレンジと提言】
私の歩いている道
千葉県  大 樹たいじゅ 正 樹まさき  60歳

小学校4年生に進級する直前父を心臓の病で失いました。

その後中学校の担任の先生の勧めもあり、中学卒業と同時に就職しました。母が私と弟を女手一つで養う苦労を考えたら、何の躊躇もありませんでした。

高校卒業資格は取得しておくべきと考え仕事が終わった後夜間高校に通う決意もしました。


同じように私の通っていた中学から昼間働き、夜間高校への進路を選択した者は少なくありませんでした。それぞれが家庭的な事情を抱えていたのだろうと今では推察します。


昼間の高校へ通い、卒業したら大学へそれは父が健在だった時の夢でした。


中学の同級生と別れを惜しむ間もなく新しい毎日が始まりました。

経済的な知識はない私ですが今から40数年以上前の日常では、白物家電の生産が盛んな時期ではあったようです。

私の就職先は数社の大手の家電メーカーの白物家電の部品を毎日生産ラインで組み立てて納品しておりました。

入社すると一通りの礼儀作法ビジネスマナー等に至るまで約1週間かけて丁寧に教えてくださいました。


朝会社の門をくぐり茶色い作業服を着て作業帽を被り、夕方学生服に着替え高校の門をくぐる。

二つの門をくぐる生活がまさに始まりました。


中学卒業前、学校が簡単な手先の器用さを簡易に計測できる指先を使ったパズルをクラス全員に実施しました。自分でも驚いたことに、勉学ではさほど実力のなかった私がクラスで、トップでした。

そんな成績が会社側に報告されていたのか会社では部品を形成するための基礎の基礎、原型作成の重要な金型の工程部門に配置されたのです。

私のような中学出たての仕事どころか世間を知らない言葉に品がありませんが「若造」が働くには場違いなと思いましたが、こんなエキスパートの職場にいきなり配置してくれた会社の懐の深さと私の手先の器用さを育んでくれた両親に感謝しました。

日々、金型を取り付けた大型機械に正面から向き合い、先輩に練習用の失敗の許される素材を与えられいくつもいくつも成型の工程を踏みました。

見て見ぬふりをして先輩たちの鋭い視線がいくつも背中に突き刺さりました。

その甲斐があったのか数日してやっと独り立ちが許され材料と希望が先輩から任された日の夜でした。

夜間高校で薄暗い照明器具のもとで体育の授業でハードルの種目をやっていた際、転んでハードルを踏み外し、鎖骨を複雑骨折してしまったのです。


比較的早い回復でしたが会社に久しぶりに出勤してみると上司から新しい職場に移ってもらうとのことで、大型コンピュータの配線の作業でした。

会社側が私の身体を気遣ってくれたことに感謝しました。


ある日、前の金型の職場の先輩に自宅近くで偶然、出くわし先輩のお宅に呼ばれお昼をごちそうになる運びになったのです。


帰り際先輩から「身体が完全回復したらまた金型に帰って来いよ。お前に配線作業は似合わねえな。みんな待ってるんだ。」と言われました。

うれし涙が出ました。


新しい職場は夜間の同級生もおり、さほど技術知識を要さない平坦な職域ではありました。


最終的には、高校卒業と同時に新しい仕事につき、金型には戻ることはなかったのですが、朝から高校の通学の時間がくるまで油まみれになって先輩に叱咤激励されていたあの日々が今でも懐かしいのです。


今年、還暦を迎え

考えるのは、私をここまで支えて下さった皆さんへの恩返しです。

私は、まっすぐ生きているのでしょうか?

まっすぐ歩いているのでしょうか?


今でもあの新入社員教育にあたっていただいた社員兼講師の方がカーライルの哲学書を常に持ち歩いていたのを覚えています。

有名な言葉をそこから引用してくださいました。

40年以上経過した今でも忘れることができません。

「自分より立場の弱い人に対する接し方に、人の偉大さは現れる。」

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