【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
教員と行政職、同じ地方公務員だが
徳島県  ケ イ ケ イ  55歳

政府の「働き方改革」により、残業の上限が定められた他、医師による面接指導や有給の義務化がなされた。私は学校の教員として採用され、長らくの学校現場での教員生活を経た後、5年前から役所で行政の仕事をしている。学校でも働き方改革と称して、早期の帰宅を促されるが、ほとんどの教員は聞く耳を持っていない。中学校などでは数年前から「ブラック部活」の問題が、刻な問題として文部科学省でも早期解決の対象となっているが、未だ根本たる解決策は発表されていない。おそらくは未解決のまま世論の沸騰の静まるのを待つというのが解決策ならぬ解消策といったところ。私は教員から行政職になって、働き方改革という切り口で思いを綴りたい。

さて、私は県庁の一つのセクションに配属となった。52歳にして初めての行政職となったわけだ。

教員と行政職、同じ地方公務員でも全く異なる。我が県が特にそうなのかも知れないが、行政の方が旧態依然とした体質だ。仕事は事務中心であることを予想していたとおり、だいたい相違なかった。「支出負担行為」など、新たに覚えることもたくさんあった。

まず良かったことは、行政職を経験して地方自治の仕組みがよくわかったことだ。とりあえず県で行動目標・達成目標を策定し、その遂行に向けて取り組んでいく。大幅に予算がかさむようであれば議員にお願いして議会で取り上げてもらうこともある。国の手法とプロセスは変わりない。予算化するところでの財政課とのせめぎ合いが私には新鮮で、平行線を辿ることになれば再度組長の判断を仰ぐことになる。このような教員では経験できないような貴重な経験をさせてもらった。と言えば聞こえはいいが、内実は苦悩の連続だ。

教員と大幅に異なることは、「職務上の階級制」にある。教員で階級と言えば、教諭と教頭・校長しかない。ほとんどの教員が教諭で採用され教諭で退職していく。フラットな関係だ。実績や能力の高い教員でもあえて教頭や校長にならないことも多々ある。ところが行政では職務上の身分が細分化され、「地方公務員法」という法律により、職務上の上司からの命令には必ず従わなければならない。これを官僚制と呼ぶのであろうが、これが教員と行政職の歴然たる違いだ。そして行政職で昇進を嫌う人はいない。これは両者を経験して初めてわかることだ。行政職も職務上の身分を細分化せず、フラットな方がやりやすいのではないだろうか。

私は52歳で初めて行政職になったものの、年齢の割に「低い」職務上の身分が割り振られた。だから最初は、学校の教員といっても、所詮、県の出先に過ぎないと感じたのだった。周りには年下の上司も多くいた。このような状況の中、チームで仕事をするとなると大変な屈辱を味わうことになる。

一つだけ例を示す。職員の県内の出張は全て公用車が義務づけされる。出張命令がおりるとパソコン上で公用車の空き状況を調べ予約する。2人以上の出張の時は乗り合わせとなるが、運転者は職務上の身分の低い者と決まっている。だから上司との出張の時は公用車を予約して必ず運転手を務めた。年下の上司との出張でも同じ。つまり5つや6つ年下の上司でも、あるいは国から来ている10歳以上年下の上司にも同じ対応となり、公用車で迎え、運転して先に下ろすことを繰り返す。これは行政では当たり前のことだが、27年教師をしてきた者にとってはとうてい馴染めない習慣だった。年下の上司との出張の際、だれも自分が運転するとは言わなかった。このことも自分に置き換えると不思議に思えた。ドライと言えばドライだ。

私は、この年になって初めてもっと勉強をしておけばよかった、と後悔した。つまり、国家公務員であれば、地方への出向では30歳前後で課長となるからだ。それはさておき、課長以上の人間が出張する時は必ず付き添いの部下が同行するルールがある。県内であれば運転手として同行するし、東京であれば飛行機で同行する。一人で十分の出張でもそうだ。この場合、部下の仕事時間と無駄な旅費が税金から支払われることになる。もったいないこと極まりない。学校であれば教頭や校長は一人で出張に行くし、当然そうだ。出張の内容にもよるが、別に課長が一人で運転して行ってもいいのではないか。

行政職をして、このような仕事上のロスが多くあることに辟易する。それで本当に成果が上がるのであれば納得もするが、どうでもよいことまでもが同じルールで進められる。常に上司の顔色をうかがい、自分で決定できない中間管理職。だから何でも2転・3転して、部下は振り回され残業が増える。県である程度の方針が決まったら、ほとんどの決定は部署で行い進めていかないと働き方改革など断行できるわけがない。課長や部長で決めてもその上でひっくり返る。そして副知事や知事でまた元に戻ることもある。時間の無駄だ。

部署で責任を持って執行していくスタイルがよいと思う。この成功例といえば、京セラの稲森会長が考案した「アメーバ戦略」が有名である。だが、行政で「アメーバ戦略」を採用する気はさらさらないようだ。

また、働く時間に上限を決めるより、残業代に上限を決めるべきだ。職員の能力不足で残業している場合でも残業代を無限に請求できるのはおかしい。残業代は全て税金だ。残業代の上限を決めれば、早く帰る職員が必ず増える。これも民間でよくやっているやり方だ。

世間でよく言われる「常識を疑え」は地方行政では通用しない。教員の世界ではよく言われ変化しているのに。慣例やしきたりにこだわることは全くないと思う。時代に合ったことを合理的に進めていけばよいのではないか。今後、事務仕事がAIに変わる。だから新しい価値観や斬新な手法を取り入れ、歳出を削減し成果を出す行政に変えないと、いずれほとんどの自治体は破綻する。国の官僚構造の縮小版が地方にあるから、まずは国から変わらないといけないのだが。少子高齢化や人口減少が進み、地方がいっそう疲弊する中、本当は地方自治体こそ「断捨離」すべきなのだ。

だから、これからを担う若い人の手に新しい価値観を注入して欲しいと願う。若い人には選挙にも行き、国の統治や地方自治に興味を持ってもらいたいと心から思う。私は、このようなことをできるだけ訴えていきたい。それがこれからの日本にとって大切だと信じるから。

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