【 奨 励 賞 】

【テーマ:現場からのチャレンジと提言】
続けてたからこそ
埼玉県  花 嶋 真 次  39歳

新年度が入って間もない頃、行政から声がかかった。

「総合型スポーツクラブを設立するので、その委員になってくれませんか?」

総合型スポーツクラブというのは、全国各地の市区町村に設置してあるスポーツのコミュニティである。多岐に渡り目的は各々あるものの、地域活性化が大きな目的であり、地域で運営していくスポーツクラブである。内容こそは割愛するが、行政から声がかかるということに私は些か驚いた。

私のことを少し書くと、12年間、地元でバスケットボールチームを運営してきた。自身でチームを立ち上げ、子供達の活動の場を作り、多くの大会にも参加してきた。子供だけではなく大人のチームも作り、大人も活躍出来る場としても活動してきた。想いは仕事や家庭以外で自分の存在がある場所。つまりは生き甲斐の一つを念頭に置いてやってきた。そういう場所が一つでもあった方が人は輝き続けられるのではないか。楽しい場作り。新しい人との出会い。いつしか使命感のようなものを感じながら活動し続け12年が経っていた。自分で言うのもおこがましいが、そういう形が行政に認められたのか、声を頂いた時は正直嬉しかった。ゼロベースで始めたことが、歳月と共に人の心を動かしたかと思うと、自分のしてきたことを誇りに思えた。

ところがである。声をかけて頂いたことは何よりも嬉しいことではあるものの、私は簡単に頷くことは出来なかった。それは12年間の重みを誰よりも知っているからだった。一つの形になるまでいろんなことがある。人と関わり続けることこそ人間の宿命ではあるものの、そこは凹凸だらけのことばかりだった。もちろん楽しいからこそ続けてこれたのは確かだが、しかし楽しいという背後にはそれ相応なことを乗り越える必要があった。忍耐や我慢、そして覚悟がなければ12年間は決して続けられなかった。だからこそ、行政の言葉に私は更なる重みを感じずにはいられなかった。むしろ今度の対象はバスケという種目だけではなく、町民全体になってくる。そこにどういう気持ちで臨めばいいのか。引き受けるか否か。当然の如く深く悩んだ。そんな中、自分の人生を俯瞰して見た。高校卒業後社会人となってから21年。何も分からず社会に出た最初の5年。たくさんのことを会社が教えてくれた。それは人としての部分が大きかった。その後退社をし留学。外国に行けば大きくなれる!そう思い行ってはみるものの、現実は言葉が分からず苦労ばかり。友達もなかなか出来ず引きこもっていた日々。そういう中、自助努力で少しずつその国と周囲に溶け込み、一人でいろんな国を旅出来るまでになった。今だからこそ言えるが、あの時にしか体験出来ないことをさせてもらった。そして帰国後、英語を生かした仕事に就き早15年。順風満帆とまではいかないものの、でも自分が描いたような人生を送ることが出来ている。そこにどこか満足感さえあった。そう俯瞰している時、どこからともなく声がした気がした。

「チャレンジしていますか?」

人間というのは歳を重ねれば重ねるほど経験で動いてしまう。失敗を恐れてなのか、新しいことに対して動かない。本当の失敗は動かないことこそが失敗とは分かってはいるものの腰は重たくなる。それでいいのだろうか。人生100年時代。私はまだ半分にも到達していない。まだまだではないか。

私は仕事をしながらバスケットボールのチームを運営してきた。それは決して遊びではなく常に真剣そのものだった。その現場を通して声が生まれた。大切にしてきたチームだからこそ、行政の声には意味があるのではないか。そう思えた時、私は決意した。引き受けることを。

自分が携わるところには常に声がある。それは現場にいる女神様だと私は勝手に思っている。火中の栗を拾いにいくのかもしれない。それでもいい。きっとそこに楽しみもあるだろう。新たなチャレンジが今始まった。

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