【 入   選 】

【テーマ:現場からのチャレンジと提言】
最初の一行をまず書いてみよう
埼玉県  本 間  敬  67歳

私は10年とちょっとしか会社勤めをしていない。子育てなど諸種の事情で会社を辞めざるを得なかったのだ。以来30有余年、ずっとフリーランスの記者としてやってきた。後悔はしていない。収入は安定しないし、おまけに原稿料は犯罪的なまでに安いけれど、雑誌に記事を書いたり自著をまとめたりするのは少しも苦にならない。むしろ自由裁量の幅が広がった分、フリーになってよかったと思っている。

フリーランスの記者というと、慌てものは「カッコいい!」などと憧憬の眼差しを向けてきたりするが、銀行の覚えは逆に少しもめでたくはない。住宅ローンを組もうにも、さんざっぱら書類を集めさせておきながら、結局金を貸してくれなかった。フリーの記者は飲食業や風俗産業の人たちと同じ水商売≠ニいうカテゴリーで括られ、将来の見通しが立たないということでローンの審査に通りにくいのである。

だからといって腐っていてもしかたがない。霞を食らって生きるわけにもいかないので、もらえる仕事は何でもこなした。エッチな記事もいっぱい書いた。原稿料を踏み倒されたこともある。それでもめげずにせっせと書き続けた。この仕事が天職かどうかは知らない。好きか嫌いかと問われたら、「マァ、嫌いではないですね」てなもので、あまり深く考えたことはない。月刊誌の編集部にいた頃から、毎日、原稿書きに追われ、会社で徹夜することもしばしば。「働き方改革」などという言葉が登場するずっと以前の話である。

およそ健康的な生き方とはいえない記者生活で学んだことは、四の五の言わず、とにかく最初の一行を書いてしまえ、ということだ。気分が乗らないとか、起承転結を考えてから、などとウダウダ言っているうちはまだ青い。〆切が迫ってくれば、そんな太平楽は並べていられない。『きょう、ママンが死んだ』(『異邦人』より)とか『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』(『雪国』より)などという名調子のことはまず忘れること。お粗末な書き出しでいいから、ペンをとって最初の一行を書いてしまうことだ。

そうすると次第に気分が乗ってきて、文章にリズムも生まれてくる。文章の要諦は自分のリズムを発見すること。「自分の適職は他にあるのでは?」などという雑念に捉われていたら、リズムどころか原稿用紙のマス目を埋めることすらできない。

「ダメだこんなもの、書き直してこい!」

編集長に徹夜で書き上げた原稿を目の前で投げ捨てられたことがある。

「どこがダメなんでしょうか?」

「バカヤロー! そんなこともわからんのか。自分で考えろ!」

悔しくてトイレで泣いた。しかし仕事を辞めようとは思わなかった。後に編集長になった時、私も同じように部下の原稿をぶん投げていた。ダメなものはダメ、理屈ではないのだ。

今、わたしの名刺の肩書は “ジャーナリスト” だ。洒落た響きではあるが、内実は虚業も虚業、ヤクザなところがいっぱいある。そんなヤクザな仕事でも、コツコツまじめにやっていればけっこう面白い。ささやかな矜持もある。若者の間で「自分探し」が流行っているようだが、転職をいくら繰り返しても真の自分は見つからない。ほんとうの自分が知りたかったら、与えられた仕事に遮二無二ぶつかっていくことだ。面白くない仕事でも、一心不乱に取り組んでいれば、やがて自分の可能性がくっきりと見えてくる。余計なことを考えず、まずやってみること。そして〆切を守ること。原稿は〆切があるからこそ輝きを増す。人生にも〆切がある。〆切があるから緊張感が生まれ「生」が輝くのである。さあ、思いつくままに最初の一行をしたためてみよう。

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