【 厚生労働大臣賞 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
職人魂を継ぐ
静岡県  阿 部 広 海  68歳

5年前に自宅を改築した。茶室のある数奇屋風の家だったので施工する大工を見つけるのに難儀をした。大工ばかりではない。左官工もタイル工も板金工も探すのに苦労した。プレハブやツーバイフォー建築の若い職人はそれなりにいるが、熟練した在来工法の職人が殆んどいない。このまま木の日本建築はすたれてしまうのだろうか。ふと、そんな不安を覚える。

我が家は四代続く村の鍛冶屋である。のどかな山里に朝からトンチンカンチンと槌の音が響く。高度経済成長期以後の機械化による大量生産、大量消費はまちの個性と人の美意識を失わせてしまった。と亡き父はよく嘆いていた。

「あの地域の土は石ころが多いから幅を少し広くしたスキ・・にしよう。」「あそこの村の畑地は粘土質だから薄刃のクワ・・にしよう。」とか、また、「○○さんは小柄だからカマ・・の柄は少し短くしよう。」などと、それを使う人や場所、土の性質までも考えて一つ一つ違ったものを作った。時には、馬や牛の性格も頭に入れて、それに合った農具をこしらえたと言う。

今は情報化時代、規格化された商品は見栄えはいいが、それを使う人への個々の気配りはない。農具は人、具、一体である。人に個性があるように、道具にも個性をもたせなければならない。これが父から受け継いだ私のポリシーである。

機会化により、農具の需要はかなり減った。しかし今も、故郷を愛し、人が好きだから一品生産にこだわり、この仕事に精魂を傾け、昔ながらの村の鍛冶屋を守っていきたいと思っている。幸いにも息子がこの仕事を継いでくれている。何よりも心強くうれしい。とはいえ、時代は変わりつつある。NC機器やCADソフトを導入して、息子なりに新しい鍛冶屋を模索しているようである。しかし、仕上段階の工程は、あくまでも手作業にこだわる。個に対応した商品を作ることがオレの流儀、そういう商品しか作らない。と言い切る親譲りの頑固さも頼もしい。

4年前から、母校工業高校の機械科実習を講師として息子と二人で受け持っている。鋳造や工作の基本を教え、職人の心構えを少しでも伝えていければ、と思い始めた。若い人たちが、本物のものづくりに興味をもち、目を輝かせ取り組んでくれる。こんなにうれしいことはない。彼らの好奇心、探求心、冒険心は無限の可能性を秘めている。新しい時代に向って果敢にチャレンジしていってほしい。今は彼らと学べることが、もう一つの生き甲斐にもなっている。

「オレ、卒業したらオッチャン、就職したいんだけど…雇ってくれんかな…」

「ああいいよ、大歓迎さ。」と、息子は笑って答える。やがていつかは、ものづくりの面白さを発信していけるような実習工房をつくって鍛冶の伝統技術を若い人たちに伝えていきたい。そんな夢を息子と語り合っている。

父から鍛冶屋を受け継ぎ30年、思えば苦労の連続だった。忘れもしない昭和39年10月、丁度東京オリンピックの年だった。置火の不始末で家は全焼、家財も仕事も全て失った。バラック小屋を建ててゼロからの再出発だった。父と二人三脚でトンチンカン、盆も正月もなかった。そして今は、息子とトンチンカン、単なる金儲けの野望など微塵もない。ただあるのは、この仕事への “誇り” だけである。

「熱い職人魂が心を揺さぶるからオレはこの仕事をずっと続ける。若い彼らにこの伝統技術をしっかり伝えていく。」息子の力強い言葉に五月さつき晴れの薫風が心地良い。

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