【佳作】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
仕事に打ち込むために
東京都 穴 沢 素 子 53歳

ほのぼのした幸せを味わえる日々。私の勤務先は、来年創立百年を迎える大手食品メーカー。若さを 保てるスピーディーな作業を1日こなして得られる安定した収入。安心して年を重ねられる企業年金や 社内預金や社会保険などの手厚い社会保障。

幸せな日々に突然終止符が打たれるなんて。

それは今年の1月下旬に生じた。朝礼で2m先で話す工場長を左目で眺めた。すると目の前が白く霞 んで顔は全く見えなかった。目の病気かとうろたえて、工場長の話はさっぱり聞き取れなかった。

帰宅途中に通りすがりの眼科に駆け込んだ。視力、眼圧、眼底の検査が行なわれた。診察室で困惑し た表情の初老の医師は私を戒めるように言った。

「重い目の病気で、指示通り点眼しないと失明するリスクがとても大きいのだよ」

「失明」という言葉は、これまでの私の生産的な1日を音を立てて壊してしまった。

夜ぐっすり眠れなくなった。朝の出勤時に頭がボーッとして、財布、カード、保険証などを落とした。

見つかるまであちこち捜し回って何度も午後から出社した。

好きな作業にも全く身が入らなかった。壁の時計の数字や機械についたランプの色が、片目ずつ見え るかどうか秘かに検査した。

食事はさっぱり美味しいと感じられず、少ししか口に入らなかった。仕事中に立ちくらみがしたり、貧 血を起こして倒れたりした。昼で早退するのが日常茶飯事となった。

3月下旬目薬を使い切りそうになった。たまたま眼科開院のポスターが目に入った。

4月1日の開院日に共に明るく病に立ち向かってゆけることを願って受診した。2ヶ月前と同じ検査 が行なわれた。診察室では笑顔がさわやかな若い医師がおだやかに言った。

「私と出身校の教官の2人で、貴女の治療を行なうことにします」

4月中旬、私は誰もが名前を知っている有名大学病院を受診した。日本のトップクラスの大学らしく、 広い診察室の中で2人の若手の医師が教官のカルテを記入したり、紹介医への返事を書いたりして、診 察技術を学んでいた。遠くを眺めるような澄んだ目に、引き締まった口元のどこか学究肌の先生は、私 のこれまでの恐れを和らげようと微笑みながら言った。

「今のところ外来での点眼で十分です」

一流の先生にこそ私は聞いてみたかった。意を決して発言した。

「私はまもなく失明するのですか」

「そんなことはありません」

先生の自信に満ちたこの一言が、私を現実の世界に連れ戻した。

「明日から夕方まできちんと働きたい」

仕事に打ち込むには、未来に希望を持てないような重い病気にかかっていない恵みが必要だ。

大学病院を受診した翌日の夕方、私は課長と面談した。応接コーナーで待っている時、解雇を通達さ れてもしかたがないと覚悟した。ロボットみたいな大きな体とふっくらした顔と細い目に表われる広い 心の持ち主で、すべての部下の良さを引き出せる有能な上司だ。

まず私はこの3ヶ月の勤務態度の悪さを深く詫びた。それから勤務しながら外来で治療することを報 告した。

「出勤できるのが何よりです。それに貴女のレポートまだかまだかとみんな待っています」

会社に切り捨てられる心配をしていたが、それどころか私を待っていてくれて、わがままを許してくれた。

15年の間に私と会社の間に信頼関係が築かれてきた。設備の改善の提言を出したり、休日出勤も引き受けた。週1回感じたことをレポートにまとめることにより会社の中に居場所ができた。

仕事に打ち込むには、自分のことを気にかけ、認めてくれる人が必要だと気づいた。

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