【 努力賞 】
【テーマ:仕事を通じて実現したい夢】
教育の力
神奈川県  柳 澤 隆 規  35歳

私の両親は共に小学校教諭ということもあり、その姿を見て育ってきた私はいつの間にか教師を夢見ていた。そして大学では、教員免許を取得するため教職課程を受講した。その授業内では、教師に必要な知識は然ることながら、いじめや学級崩壊などの学内現状と共に、教師に生徒一人一人への慎重な対応が求められていることを知らされた。しかし私は、生徒から好かれ、悪例として挙げられるようなクラスにはしないという根拠のない自信があった。なぜか。それは「教師」という仕事を甘く見ていたからである。現実はそれほど甘くはないのに…。

 大学を卒業し、私は念願の教壇へと立った。両親とは異なり、高等学校教諭の道を選択した。初めての授業も、特に緊張することもなく、根拠のない自身のもと、専門である数学の授業を展開した。以前から、「公式や定義だから」と言って覚えさせる数学教育に不満を抱いていた私は、生徒に対し暗記することを真っ向から否定した。そして、その公式における発現経緯や背景などを説明し数学の必要性、面白さを伝えようと必死だった。しかし、それに対する評価は真っ二つに割れたのである。数学を苦手とするものからは良い授業であると喜ばれるのだが、得意とするものからは非難を受けるのである。

「そんなレベルの低い授業で大学に合格できると思ってるの?世の中はそんなに甘くないんだよ。」

と。高々十数年しか生きてきていない高校生に、このようなことを言わせてしまう授業の不甲斐なさに愕然とした。それと同時に、根拠のない自身は脆くも崩れさった。また、教師経験が浅く、教育技術を持たない私は、問題を効率よく解くための暗記重視の、無難、かつ、不満の少ない授業へと移行することを余儀なくされた。

 それから早10年あまり。少なくない授業数を行ってきた。毎時間のように試行錯誤を繰り返しながら、授業改善を行ってきた。しかし、未だに指導スタイルを確立できず、日々反省と改善を繰り返している。そして、一筋縄ではいかない教師の大変さを思い知らされながらも、教師の生徒に対する思いの重要性を再認識している。「教育は共育である」という初任当時の信念は今も変わることはない。教育の現場は、教えるだけでなく私たち教師も生徒に教わりながら共に育っていく場所である。教師があきらめたら生徒もそれまででしかない。逆に、教師があきらめなければ生徒は必ずそれに応えてくれる。教師は、生徒に対し多大な影響力を持っている。だからこそ教師は、安全地帯にとどまろうとはせず常に改善する余地を持ち続けなければならない、またその責任を負う義務がある。一つのやり方に固執するのではなく、生徒が変われば教師も変わらなければならない。私は、これからの教育を担っていくものとして、教育の在り方について今後も常に考え、生徒と共に2人3脚で歩いていきたい。後輩からは頼られる先輩教師、先輩からは頼れる後輩教師、生徒からは人生の目標となる教師となれる様、かけがえのない職業である教師という仕事を全うしていきたい。そして、教育の力を通して、「たとえ、一人だけがどんなに頑張ろうと日本は変わらない」という意識を変えてやろうと思う。

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