「私、人が大好きだから、多くの人と関わりたいです」
教員採用試験の面接で教員志望の動機を聞かれ、私はこう答えました。教員になることは子供のときからの夢であり、私は抱き続けてきた夢を叶えることができたのです。初任地は中学校で、生徒との時間が楽しくてやりがいのある毎日でした。しかし4年後異動になり次に赴任した小学校で私は学級崩壊を起こします。児童や保護者との関係は日に日に悪くなり一度壊れてしまった学級はどう立て直そうとしても、どうあがいても決して光は見えず、精神的に追い詰められ、なんとか3学期末までの自分の任務を終えた後退職しました。子供のときから憧れていた教員という仕事はたった5年で終わりました。しかも「人が大好きだから」と笑顔で答えていた私は、学級崩壊の経験から極度の人間嫌いになりました。「人は怖い。とにかく人と関わりたくない」そう強く感じ、次の職場は製造業を選びました。総菜屋の厨房です。朝から晩まで包丁を持ち、フライパンや鍋を握りひたすら与えられたメニューを作り続けます。厨房担当のため、客とのやりとりはありません。事務的な連絡以外は話す必要もありません。「誰かの役に立ちたい」「人に喜んでほしい」そんな気持ちは私にはもうありません。今回の職場で人と関わらないことはこんなにも幸せで平和なことだと実感しました。
そんなある日、小学校低学年ぐらいの男の子が小銭を握りしめ来店し、こう相談しました。「最近、ばあちゃん元気ないんだ。食べたくないんだって。きっと全部の歯を取っちゃったからだ。入れ歯なんだ。だから、何かばあちゃんが元気になるおかず下さい」。担当した店員は男の子の気持ちを受け止めましたが、どの総菜を勧めていいか悩み厨房に相談しに来ました。話を聞いて私が真っ先に感じたことは「力になりたい」でした。思わず店に行き、男の子に話を聞きます。「おばあちゃんの好きな食べ物分かる?」「甘いの好き?それとも辛いの好き?」「ぼくの好きな食べ物はなにかな?」偶然にも私の父も入れ歯です。入れ歯の苦労はよく父に聞かされていたので、その男の子のおばあちゃんの気持ちも少しは共感できたと思います。私は上司にこう提案しました。「大学芋はどうでしょうか。おばあちゃんもお孫さんも甘いのが好きみたいだから、一緒に食べられると思うんです。ただ、大学芋の黒ゴマはかけずに。ゴマが入れ歯に入り込むと痛いから。それと、入れ歯の方は口を大きく開けるのが苦手だから、スティック状の細長い大学芋はどうでしょうか。食べやすいしオシャレだと思います」上司は、私の思いを受け入れてくれ、男の子も賛成してくれました。私はすぐさま作り、渡すと予想外に男の子はにこにことしてくれました。その笑顔に私は何とも言えない感情に陥りしばらく呆然としていました。
その後、その大学芋をおばあちゃんが喜んで食べてくれたのかどうかは全く分かりません。ただ、その後また男の子が買いにきてくれたとのこと。しかも今度はおばあちゃんと一緒に。「おばあちゃんと一緒に楽しくお総菜を選んでいたよ」と教えてもらい、それだけで幸せな気持ちになりました。
あれから7年。私は未だに人と関わることは苦手です。人が怖いという感情も心の半分を占めていることは確かです。料理人として黙々と働くことは私に合っています。ただ、7年前の件で一番救われたのは男の子でもおばあちゃんでもなく自分だとはっきり感じています。優しい気持ちの男の子のおかげで「少しでも役に立ちたい」という気持ちが自然と沸き起こりました。食べてくれる人のことを考え、「美味しい」と言ってくれなくてもかまわないから、ちょっとでも元気になってほしい。ちょっとでも笑顔になってほしい。だから全ての料理に私は今日も「愛情を一つまみ」忍ばせています。
やはり私は、かつての私同様「人が大好き」のようです。