「夢を持って実現して人生を全うしよう!」時々そう唱える人間にうんざりする。誰もが夢が持てる環境に育つわけではなし、誰もが特技や好きなものがあるわけではない。
私は小学生高学年で父が代表を務めていた会社が倒産した。10代後半で両親が癌になった。父が50歳の時に生まれた私は父が老いてもなお必死に働いた末病気になった姿しか見ていない。子供時代に良い思い出はあまりない。私は10代の頃夢が持てなかった。
私は絵が得意だった。高校生の時絵画コンクールで38万点の頂点になっても美大に進みたいなどとはとても言える状況ではなかった。大学や専門学校の資料を取り寄せては、泣きながら捨てた。結局高卒で会社勤めをしながら高校の奨学金を返し、親に仕送りをしながら専門学校の学費を貯め、学校へ行き、卒業後に転職したが、全ては生活の為であった。
そして今、通信で大学の単位を取っている。行きたかった芸術大学の通信であるが、やりたかった勉強、送りたかった学生生活とはかけ離れている。
初めて勤めた会社の製造部門では外国人が半数を占めていた。ブラジル、ペルー、中国人である。外国人労働者の子供は中学に入っても学力がついていけない。言葉が分からないから無理もない。そして中学を卒業すると親と同じ工場で働く。そのような状況を私は間近で目の当りにした。
イタリア映画の名作『自転車泥棒』で戦後仕事を失った父親がやっと手に入れた仕事はポスター貼り。自転車が盗まれ仕事が出来ない。追い詰められて自転車を盗んだあげく子供の前で捕まる。子供に泣きながら「お父さんを捕まえないで」と言われながら手を引っ張られる。解放され子供と手をつなぎ泣きながら歩いて帰るラストは忘れられない。戦争はこんな人々を沢山生んだ。
今は時代が変わった。今の若者は、ポスター貼りの仕事を得て上機嫌のお父さん、追い詰められて自転車を盗むお父さんに共感出来ないだろう。特に今の日本ではなんの仕事でもありがたいと思っている人は少ない。夢があり、プライドがあり、学歴がありながらも職に就かずフリーターをしている人間もいる。時間もお金も十分にかけることが出来たにも関わらず何をやっていいかわからず、甘えている人間もいる。
しかし外国人労働者の中には前向きになんの仕事でもありがたいと思いながら仕事する若者がいた。さらには工場で働いて、学校へ行き、どうにか生活レベルを上げようとする人もいる。誰もが前向きな性格ではないし、前向きだけではどうにもならない部分もある。しかしやる気がある人間には十分にチャンスを与えるべきである。
どんな状況であっても夢が持てるようにと教育する親ばかりではないし、親身になってくれるいい先生に出会える人ばかりではない。教員になった友人のほとんどがごく一般家庭で育った人である。極端に貧しい生活を送った人間はいないし、学力面でも落ちこぼれたことがない人達である。人は経験のないことに対して想像することは難しい。貧しくて学業がおろそかになるなど、経験がないと信じられない。学業が身に入らないには何か理由があるに違いない、などと教員はそこまでは考えないのが現実。全部の子供の家庭環境を把握するのは無理だし、想像するのも難しい。でもやらなければならない。全ての子供が夢が持てるように、どんな子供でも自信が持てるように、どんな状況にあっても常に道があることを教育するべきである。貧しい状況や夢が持てない状況にある子供を決して見捨ててはならない。それが一番大事な教育であると私は考える。厳しい環境にある子供には日本人でも、そうでなくても日本に住んでいる子供には気に掛ける必要がある。全てはそこから始まるのだから。自分にコンプレックスがある人は負けないでほしい。配られたカードで勝負するしかないとスヌーピーも言っている。