【 努力賞 】
【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
その先に
愛媛県  阿 部 喬 子  34歳

「先生はなんでいっつも偉そうなん」

大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、教卓の前で睨みつけるように言った。一瞬で教室の空気がひゃっとするのを感じた。心配そうな表情で私の顔色をうかがう学生もいる。

看護教員になり、初めての最終学年のクラス担当になった。四月の終わりのことだ。翌年の二月に実施される国家試験に向けて、少しでも早く対策を取らねばと、始業翌日から毎日十問の小テストを実施していた。終了後、解答のみを公表し、翌日に間違ったところを自己解説してくるという流れだ。その課題について、学習が不足していることを指摘すると返ってきたのが、思いもよらない彼女の言葉と表情だった。

「偉そう、ではない。足りないところを指導するのが私の仕事」

 平静を装い、こんな風に返したことを覚えている。これがこの時の私の精一杯だった。課題が入ったカラフルなファイルをさっと片手で受け取り。足早に教室の後方の席に向かい、ガタッと大きな音を立てて椅子を引いた。その後もずっと、瞳は机に向けたままだった。

 看護学生の頃から「看護教員」に強い憧れがあった。それにはN先生の存在が大きく影響している。勉強の仕方を教えてもらうことはもちろん、何かあればすぐに先生に報告をした。いつでも私を迎えてくれる先生の笑顔に引き寄せられるかのように。いつかは先生のような教員になって、後輩を育てたいと自然に思うようになった。

 教員になった頃、いつか学生が出会う患者に対しても責任があり、それは私自身が直接看護を行う時よりも重いものであるように感じていた。当然私が行う教育の先に、彼女たちが出会う患者がいる。しかし、その前に私が向き合うべき対象は彼女たち自身であることを痛感させられた。私は学習が不足していた理由を彼女に問うことはしなかった。もしかしたら、必死に調べた結果がそれだったのかもしれない。

 教育は難しい。指導の裏側にある教員の思いなど、理解されないことがほとんどだ。何度もそのすれ違いで悩んだこともある。でも教員は辞められない。それは育てる側の私が学生との関わりの中で、「育つ」感覚を実感するからだ。一つ一つの教育の先に、看護師になった彼女たちの笑顔、患者の笑顔があることを信じて、今日も教壇に立つ。

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