長女を預かってくれる保育園が無いと知ったのは、娘が誕生して1カ月の頃です。日本では、医療的ケアが必要な重症心身障害児を受け入れてくれる保育園がほとんどありません。医療の進歩と共に、医療的ケアが必要な子どもたちは年々増加していますが、社会的な子どもたちの居場所づくりは進んでいないのが現状です。
産後すぐにでも、仕事を再開したいと思っていた私は、あまりに厳しい現実に愕然としました。保育園に入りたくても、待つことさえ許されない現実。未来に光を見出せずにいた私は、待機児童という言葉が羨ましくさえ感じました。娘と私たち家族には、『待つ』という選択肢がありません。誰も手を差し伸べてくれない状況に、世の中からぽつんと置き去りにされたような思いでいました。
そんな絶望の中、私に希望を与えてくれたのは、他でもない長女です。生命の危機を何度も乗り越えて、穏やかな表情で私に寄り添う娘を見ていたら、抱えていた悩みが、ちっぽけなことのように思えてきたのです。生きている、これだけで十分、そう思いました。
大切なことに気づかされた私は、働くことができない言い訳に社会を使うことをやめました。目の前に大きな壁があらわれたとき、「できない」言い訳を考えているうちはその壁を乗り越えることができません。「できる」方法を考えるようになってはじめて、乗り越えるチャンスが訪れると思うのです。
私のできる方法は、自宅で働くという働き方です。これなら、娘の預け先に頭を悩ませる必要はありません。今は、娘のケアをしながら働く道を、試行錯誤しながら創っています。その道は、決して孤独ではありません。明かりが灯り始めた道を歩き始めたら、たくさんの方に支えられていることに気がつきました。
私が歩いているのは、制限が多くでこぼこの多い道です。しかし、難所の多い道だからこそ進みがいがあり、力がつきます。歩みの先に、医療的ケアが必要な子どもたちの居場所づくりという目標も見えています。不可能を可能にするのは、他の誰でもない、自分自身です。