【 努力賞 】
【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
トンネルの中にいた日々
東京都  青 木 雅 子  32歳

私は、15歳の高校一年生の時、高校を中退した。

自宅から電車やバスを乗り継いで約1時間の女子校に通っていたのだが、新しい学校生活になじめなかったり勉強についていけず、僅か3ヶ月で中退してしまった。

それとひきかえに始まったひきこもり生活。一日がたつのがものすごく長い。しかし毎日同じことの繰り返しで一週間はあっという間に過ぎる。昼過ぎに起きて遅めの朝食をとり、漫画を読んだりゲームをして一日中だらだらと過ごした。私の人生はどうなるのだろう?みんなが学校や仕事に行っている時間帯、私は家でぼーっと過ごす。不安になりながら。そんな私の姿を見た母は私に「生きる屍」と言った。優しかった母から笑顔が消え、「なんでこうなったのか」とよく泣いていた。そんな母を見て余計反抗していたあの頃。毎日泣きながら家から一歩も出れない私は真っ暗なトンネルの中をさまよっているようだった。出口のないトンネルを。

「まーちゃん、通信制の高校ていうのがあるよ」

高校を辞めてから半年が経ったある日、母が昔に戻ったような優しい笑顔で話しかけてきた。

「通信制?」

通信制の高校とは、月に二、三回、スクーリングとよばれる授業を受け、後は自宅で勉強する高校だった。

毎日目的もなく真っ暗なトンネルをさまよっていた私に一筋の光が見えた気がした。私は密かに高校を中退した事を後悔していたのだ。学歴は関係ない、そう豪語して高校を辞めたのに実際アルバイトの求人情報には「高卒」を条件にするところが多かった。高校を辞めた後、一度はどこかでアルバイトをしようと考えた。しかし「高卒」を条件にするアルバイトの多さに愕然とし、すっかりやる気をなくしてひきこもり生活が始まったのだった。

私は母にすすめられた通信制の高校に、女子校を辞めた翌年の春から通うことになった。自分の意思で。

「高校生」

かつては大嫌いだった学校に、また違う形だが戻れた事が嬉しかった。母も私が一歩前進した事をものすごく喜んでいた。

通信制の高校の同級生には、本当にさまざまな人がいた。私と同年代の生徒もいればおじいさん、おばあさん、主婦やサラリーマン、老若男女が一つの教室で一緒に勉強する。新鮮だった。そして、自分のペースで勉強できる環境も、勉強が苦手な自分にあっていた。

高校にもう一度通いだした頃、私はアルバイトもはじめた。近所のスーパーでレジの接客だ。うちの家は決して裕福ではなく、高い学費を共働きでやっとの思いで支払って女子校に行かせてくれたのに3ヶ月で中退した事も後悔していた。母はパートを3つもかけもちしていた。それなのに、女子校を辞めた。迷惑をかけたな・・・。よし、頑張って通信制の高校の学費は自分で全額払おう。そんな気持ちからはじめたアルバイトだった。

「いらっしゃいませ。おはようございます」

誰に習ったわけではないが、私はいらっしゃいませ、の後に必ず挨拶を付け加えた。お客様から「おはよう」「こんにちは」と笑顔で返ってくる事もあり、それがものすごく嬉しかった。ただの挨拶にすぎないのに、春風が心を優しくくすぐるような心地よさだった。

通信制の高校に通い出すまではずっと真っ暗なトンネルの中をさまよっていた。

今は、アルバイトを通じてお客様からたくさんの笑顔をいただく。「お嬢ちゃんの笑顔、本当にいいね。元気でるわ。他のレジが空いててもついつい並んでお嬢ちゃんのところに来ちゃう」常連客のおばあさんに言われた事。私は、ただただ嬉しかった。誰かに少しでも元気を与えられたのだと。太陽のように光り輝く存在になりたい。そう思っていた。

私は21歳で高校を卒業した。沢山まわり道をして他の人より時間はかかったけど、日々アルバイトなどを通じて学んだ事が沢山あった。

そしてあの頃太陽だったのはお客様の温かい笑顔だったのだと今思う。

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