「お仕事は何ですか?」
「看護師です」
「まぁ、すごいですね」
よくある会話だ。私も何度も経験した。
看護師を目指した理由は、人と関わる仕事で、確実にお給料が貰えるから。自分も生活出来て、親も養える。母が一人で私達兄妹を育ててくれたから、これからは母に楽をさせよう。
22歳、看護師になったばかりの私。働くとは、辛い事も我慢してお金を稼ぐ事。生活のため、税金を払うため、医療費を払うため、生きるために仕方のない事。そう思いながら看護師としての人生をスタートした。
「看護師ってすごいね」と周囲に言われ、母も喜んでいるし、もっとすごい人にならなきゃ!と、夜勤や休日出勤を沢山した。家でも勉強ばかりで、寝る間も惜しんで始終「患者さんのために私が出来る事」を考え、仕事以外の事を考える日などなかった。
そんな日々も、楽しかった。辛い事は勿論ある。しかし、それも看護師という仕事だから仕方ない。辛いからこそお金を貰える。こんなに辛いのに働いている自分は偉いとすら思っていた。
しかし、いつの間にか身体はボロボロになっていた。遂にはメニエール病を発症。眩暈を繰り返すため、起きる事さえも出来ない身体になってしまった。悩んだ挙句に出した答えは、退職。これも治療に専念する為。身体を治して早く看護師に戻りたい。その一心で決断した。
24歳、仕事もない、お金もない、恋人もいない、何もない状態が暫く続いた。あんなに一所懸命に働いたのに。どうして私がこんな思いをするの?こんな人生で終わるのかな…。この時はまだ気付いていなかった。自分の人生を、自分主体で生きていなかった事に。「親や周りはどう思うか」「私がちゃんとしないと、母が悪く言われてしまう」と、常に周りの目を気にして、自分が何をしたいか、何をしている時が楽しいか、自分の幸せは何かなんて、考えた事がなかった。
そんな中、趣味で続けていた手話の勉強会で、ある人と出会った。彼はいつも言っていた。「楽しく生きたい」と。小さい頃から会社を興したいという夢があって、「障がいのあるなしに関係なく、皆が楽しく暮らせたらいいなと思う」と。だから、まず自分が楽しく過ごす事。自分が笑っていれば、相手も笑ってくれる。その人が、すぐ傍の人を笑顔にして…と、笑顔が繋がっていったら、楽しい社会になる。そんな社会を創りたいと話す彼は、キラキラしていた。素敵だと思った。私には、何の夢もないのにすごいな…。
当時の私は、その日一日を生きる事で精一杯で、明日の事なんて夢見ていられなかった。でも、私だって楽しく生きたい。持病があっても、楽しく自分の人生を生きてみたい。自分主体で、全て自分で決めて、誰に何を言われようと、真っ直ぐに自分の想いを信じて生きてみたい。
彼との出会いは、私に夢をくれた。27歳の時だった。それからは、自分が楽しいと感じる事にとことんチャレンジした。ダンス、歌、イラスト、読書、手話、コンサート、旅行、飲み会…。こんなにも楽しいと感じたのは、病気になって以来の事だった。病気だろうが関係なく、純粋に物事を楽しんで、笑って生きていける。そう思えた。
会社を興したいという彼の夢を応援しているうちに、自分も一緒により良い社会を創りたいと思うようになった。どんな社会を創りたいか具体的に想像し、自分達が本当にやりたい事は何か、二人で沢山話し合い、遂に今年創業した。
32歳の今は、気付けばいつも笑っている。昔はあんなに看護師に拘っていたのに。職業が何かという事は、人が幸せになるための選択肢の一つ。決して、看護師だからすごい訳でも、幸せになれる訳でもなく、その人が自分の人生を楽しんでいるかどうかなのだ。
今の私は、自分が好きな事をとことん楽しんでいる。私が笑えば、きっと笑顔が伝染して笑顔がいっぱいの社会になると信じている。
彼=夫と共に、この社会を笑顔でいっぱいに!