我が家正面玄関の壁一杯に大輪の菊の絵画が飾られている。来客がそのダイナミックな筆跡を誉め作者についてたずねると、私は胸をはって母が描いたものだと答えている。
私の母は中学校の美術教員免許を持っている。これは以前母と呉服屋へ行った時の話だ。母がとても素敵だと言って一枚の着物を指差した。しかし私にはその着物が大して良いものには思えず首をひねっていると、着物作家さんが来られ母が良いと言った作品は自分が最も労力を注いだものだと嬉しそうに話された。良いものをすぐに見極められる母の力に、私は子供心に大変関心した。
けれど母がこの能力を日常生活において発揮することはほとんどなかった。母は教職に就かず自営業の手伝いをしていたからだ。
母に一度だけ、どうして教師にならなかったのかとたずねたことがある。母は答えた。実は一度だけ教師が不足しているから、近くの中学校で教えてみないかと声をかけられたことがある。けれど病気がちだった私を置いて家を離れることは到底できなかったのだと。
絵を描くが大好きで子煩悩な母はきっと良い教師になったに違いない。けれどその未来を閉ざしたのは他ならぬ私自身だった。……その事実に私は愕然とした。母は言った。「私の夢は母親になることだった。だから三度の流産の末、四年越しに母親と呼ばれるようになった時、この上ない幸せを手にすることができた。だから自分の人生に満足している」
それでも私は自分が母の人生を変えてしまったことの罪悪感を払拭することはできなかった。
月日は巡り、現在私は二児の母になった。最近になってようやく、私はあの頃の母の気持ちが理解できるようになった気がする。
母親にとって子供はかけがいのない存在である。自分のキャリアや夢を投げうってでも子供の為に一番良い道を選びだい。それは全ての母親に共通する願いではないだろうか。だけど叶うことなら母親としての自分も、社会に属する一人の人間としての自分のも大切にできたら……それはこの上ない幸せな生き方だろう。
母は私が社会に出るとほどなく、学習塾の講師をはじめた。教えることが好きな母は小さな子供達に囲まれイキイキとした日々を送っている。
夢を叶えることに決して遅すぎると言うことはない。ピンとまっすぐに伸びた母の背はそう語っている。その背を眺め、私はふと玄関に飾られている菊の絵画を思い出した。
大輪の菊に白々と射す一筋の光……光があたった葉はくっきり浮かび上がりとてもやさしいタッチの絵。母はきっと希望を捨てたことなんてなかった。そう、あきらめなければ望む道にきっと、光は射す。
私は母からそう教わった。