28歳で甲状腺の病気になった。完治することはない病気らしい。教員になって4年目のことだった。
思えば、これまであまり自分の身体をいたわってこなかった。授業研究で寝る暇もなかった1年目。専門書で勉強しながら実践を積んだ2年目。そして3年目からは学級担任になり、校務分掌もこなしてきた。若いうちこそたくさん仕事をして、より優れた指導方法や実践方法を吸収したいと思っていた。子どもが好きで教員になり、その思いに真正面から向き合い突っ走ってきた。それの何が悪かったのだろう。
生きるために働いているのに、働くことで病気になるのなら本末転倒だ。命を削ってまでどうして働かないといけないのか。いくら考えても答えが出ず、次第に仕事に対する熱意がなくなっていった。子どもたちに申し訳なく、このまま教員を続けていくことに引け目を感じてきた。退職も考えたが決心がつかなかった。
29歳で転勤になった。新しい街、新しい同僚、新しい教室…。職種は変わらないはずなのに、戸惑うことばかりのスタートだった。特に、受け持ったA君との出会いは格別だった。彼は知的障がいがあり、ほとんど言葉を話さない。学習面にせよ生活面にせよ、言葉で指導してもあまり反応が見られなかった。主体的に動いたり話したりする姿も見られず、彼はいつも受け身の状態だった。私は、どう関わればいいのか…と悩んだ。
1か月ほどたって、彼には簡単な言葉で話しかけると通じることが分かった。「立つ」「持つ」など、時にはジェスチャー付きで話しかける。長々と指示を出さず端的に話しかけると、理解してくれることに気付いた。私の指示に対して動き出さないこともある。それは彼が悪いのではなく、伝わる話し方をしていない私が悪いのだ。子どもを指導したり叱ったりする前に、まずは子どもが何につまずいているのかを把握する。それが大切なことだと知った。
ある日の給食時の出来事だ。いただきます、の挨拶の後、子どもたちはおいしそうに給食を食べ始めた。すると、A君だけは小鉢に盛られた野菜の和え物を手でわしづかみ、とんかつの皿の上に置いてしまった。やめようね、と言いたい気持ちをぐっとこらえ、彼を見つめた。なぜA君はそのようなことをしたのか。
「のってる」
A君が、私の目を見て言葉を発した。そして「今日の給食」と書かれた掲示板を指差した。そこには、キャベツが添えられているとんかつのイラストが素材として使われていた。彼にとって、野菜の和え物はとんかつに添えられているキャベツに見えた。彼は正しく盛り付けようとしただけなのだ。
私はA君を褒めた。A君が初めて自分の主張を訴えてきてくれたのだ。今まで受け身だったA君が、自分なりに考えて行動したのだ。そして、その思いを言葉にのせて私に伝えようとしてくれたのだ。とてもうれしかった。やっと私たちは二人のスタートラインに立てたのだ。
私は働くことに対して卑屈になりすぎていたかもしれない。確かに、働くことに対して迷いがあった。しかし、子どもたちと向き合っている時間は、迷いを忘れて指導に集中している自分がいた。それは、子どもと向き合うことが好きで真剣に関わりたいという気持ちの表れだと思う。生きるために仕方なく働いているのではない。私は、働きたいから働いている。私は子どもたちと一緒に笑い合いたいし、楽しい場を共有したい。働くことが、私の生きる糧なのだ。迷う必要なんてなかった。病気とうまく共生しながら、また明日から働けばよいのだ。
その後、A君は私に話しかけることが増え、時にはわがままを言うことも増えた。今までとは違う新たな姿を見せてくれているA君。これから私たちが作り出すストーリーはどのようなものになるのか。さあ、とても楽しみだ。