【 努力賞 】
【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
諦めたくない、楽しめる人生。けれど……
埼玉県  東 屋 葵 28歳

この仕事を選択したのは、消去法からでした。

私の職業は「学校の非常勤講師」です。一年ごとの契約で、各学校で授業を担当しています。一校だけでは時間的にも精神的にも余裕があるため、毎年二校ずつお世話になっています。

今思い返してみると、自分がいつ教員になろうと決意したのかが思い出せません。気が付いたら、大学で教員免許を取るための授業に参加していました。単純に、面白かったのだと思います。

その後、就職活動をしていた時に、初めて、自分自身がどんな風に働きたいのかが分かりました。どの会社の面接を受けてもしっくりこない、自分というものが就職活動を通して見えてこなかったのです。そうした末に残っていたものが、教員免許だったのです。

一年目。運よく声を掛けていただいて非常勤講師として仕事をしました。非常勤なので研修や指導をしていただく機会などありません。待っていても授業変更日程の情報さえ教えてもらえない、そんな「新人研修」がない状態でのスタートでした。仕事の仕方も何も分からなかったのですが、ちょっとした事柄や子どもたちに関する相談事があって質問をしても「そんなことも分からないの。自分で考えて」と、冷たくあしらわれる日々が続きました。このような状態なのですから、生徒にも「何を言っているのだろう?」という顔をされ、怒られ、ダメ出し、直接私の人間性を否定するような厳しいことを言われる始末。

ですが、「自分にはもうこの仕事しか残されていない」のと、高等学校在学中に部活動内でいじめを受けていたことを思い出し、毎日泣きながら食事をしていた時に比べたら「ご飯が美味しい。ならばまだ生きられる、大丈夫だ」と思うことにしました。あの時とは比べ物にならないくらいの障害だと。

既に嫌われているのだから、今更人から嫌われること自体は怖くない。ならば、嫌われてもいいから子どもたちの助けになれなければ意味がない、開き直ってしまおうと考えを改めました。そして夏休みが開けたと同時に他の教員の授業を見学させてもらい、二校の移動中の電車の中で、「真似したい所・改善点・反省」などを、携帯電話のメモ欄にびっしりと打ち込み、復習・改善の毎日が続きました。ビジネス本や専門書を読んだりして、必死になって自分の中に落とし込みました。

そうすると子どもたちも徐々に授業を聞いてくれるようになりました。毎回の授業の反省点を、一週間後の授業では必ず改善できるように工夫をしました。誰にも教わることが出来なかったので時間はかかりましたし、多くのトライアンドエラーを繰り返しましたが、結果的に最初の一年の経験が私の基準となりました。

あれから四年。最近では、学年末のアンケートで「授業の担当が先生で本当に良かった」「昨年よりも何を言われているか、何を読み取ればいいのか分かった」「苦手だったけど、一年間、苦痛に思うことなく過ごせた。むしろ授業に来たいと思った」「来年も先生から面白い授業を聞きたい」と言ってもらえるまでに成長しました。こう言ってもらえて初めて「ああ、自分はこの子たちのためにしっかり一年間頑張れたのだな」と実感できるのです。

これまで自分ができる最高の空間を演出するために奮闘してきましたが、一般的知識はまだ足りないようで、正規の教員にはなれていません。収入が少なく、実家住まい。生活費は渡しているし家事を担当していても、正直言って実家に居候をしている気分が拭えません。「収入や将来のことを考えるなら、そろそろこの仕事をやめれば?」と言われているのですが、自分自身の人生を大いに楽しむ上でこの仕事はやめたくありません。ですが、このあたりで、よく考えて今後の人生を歩みたいと思っています。

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