私がAMI福祉工場へ通うようになって、丁度一年が過ぎました。AMI福祉工場は、就労継続支援B型と就労移行支援事業所を兼ねています。この工場では、身体障害、知的障害、そして、精神障害の三障害のひとが合同で就労訓練を受けています。
私は、精神障害者です。病名は「統合失調症」18歳の時に、この病と診断されました。初めて、「統合失調症」と診断された時、愕然としました…。正直に申し上げますと、私は「障害」という言葉が嫌で仕方ありませんでした。同時に、それは自分自身を否定することにもつながりました。
入院は、三度経験しました。病棟内では時に患者同士のトラブルがあり、私の場合も傷つけ、傷つきながら、三度の入院を乗り越えました。しかし、私は今、ようやく「寛解」になりました。寛解とは辞書を引いてみると、「病気そのものは完全に治癒していないが病状が一時的あるいは永続的に軽減または消失すること」とあります。感情の起伏の波を把握できるようになったので、妄想や幻覚などの症状も軽くなりました。 自分に自信もついてきました。精神保健福祉士がいる県内の福祉施設を通して紹介していただいたのが、外でもないAMI福祉工場なのです。
しかしながら、最初は決められた日に通所することができず、自分が「障害者」であることに偏見を抱き、障害を持つひと(自分を含めて)を白い眼でみていたのではなかったでしょうか。そんな私でしたが、決められた日に工場へ通所することができるようになり、学んだことがあります。障害は障壁なんかではない。そのひとが持っている個性である≠ニいうことです。
工場内では、三障害のひとたちが合同で、一生懸命に自分のできることをやっています。工場長はじめ支援員や事務方の皆さんは非常に理解を示してくれます。例えば、作業中失敗をしてしまったり、壁に突き当たったりしてしまったとします。そうすると、必ずフォローの手がのびてきます。
「大丈夫だよ。ゆっくりで良いよ」
その言葉に何度救われたことでしょう。誰彼なしに心が折れそうになれば、話に耳を傾けてくれます。世間には、職場で三障害の人達を一緒にすることに問題があるという意見があります。私は、その意見や考え方には反対です。実際に今の工場での訓練を通して、気が付いたことなのですが、訓練を受けているひとには皆“働きたい”という強い意欲があります。その気持ちは、健常者と何等変わりないのです。
私は、精神障害こそが一番特殊な障害であると、当事者として思って生きてきました。もし、今の副工場に出会うことがなければ自分だけが特別だと思い込んでいたことでしょう。
三障害を一緒にすることに、私は賛成です。障害の形こそ異なりますが、それは一人ひとりが持つ個性であり、自分自身が持つ色(カラー)なのです。
十年後の自分へ
胸を張って生きていますか。気持ちは安定していますか。二十八歳の私は、今を大切に一日一日を生きています。いつか今の訓練先の工場からどこか別の企業に移って、障害者雇用枠で働きながら、大好きな書くこと≠続けていられると良いですね。
一人で良いです。誰か私の書いた文章を読んで、元気になってくれる他人(ひと)がいますように…。よし頑張ろう≠ニ思ってくれる他者がいますように…。二十八歳の私は、それを心から祈っています。