大学を卒業して5年、来月私は7社目の会社で働き始める。
「いい大学に入ること」これが大学に入るまでの私の夢だった。中学から入念に計画を練り始め、全ては効率よく希望の大学に入るためだと思っていた。受験のための勉強もゲーム感覚で楽しめたし、何度も家族の前で練習した入試面接は我ながら堂々たるものだった。
私は予定通り、東京の大学に合格した。そしてそれと同時に、私は生きる目標を失った。大学にさえ入れば成功が保証されると思っていた私は、まさかその先に道がないなんて思ってもいなかったのだ。
大学生活はあっという間に過ぎていった。友達に誘われるままサークルに入り、先輩に誘われるままバイトを始め、それなりに恋愛もした。けれど結局、どれも長続きはしなかった。
最終的に私の心に残った言葉はただ一つ。
「結局、私は何がしたかったの?」
在学中、特にやりたい仕事も夢も見つけられなかった私は、名古屋の実家に帰ることにした。そして就職した最初の仕事は、車の販売会社での営業だった。毎日は淡々と過ぎていった。職場環境にも給料にも不満はない。それでもふとした瞬間、「全力で仕事をしていない」という意識が猛烈に心を締め付ける。あるとき私は急に思い立って、店長に「辞めます」と告げた。正社員の仕事を数ヶ月であっけなく辞めてしまったのだ。
また東京に飛び出してきた私は、友人とシェアハウスを始める。窓もない4畳の空間をカーテンで仕切っただけの場所で、私の新しい生活は始まった。仕事のない私は姉のいる映画会社で勝手に雑務を手伝い始め、そのうちにバイト代が出るようになった。とにかく生きるのに精一杯だった。東京で住むにはお金がかかる。さらに卒業したらすぐに返せると思っていた学費ローンが重くのしかかるのだった。
それでも私は「全力で働ける場所」を探して、医療器具の会社、広告代理店、マッサージ店、ラジオ局と仕事を変えていった。どれも正社員ではなく、バイトや派遣社員、業務提携という形だ。何度も正社員を目指して就職活動をするのだが、書類すら通らない。あんなに簡単に会社を辞めてしまった後で、正社員になるということがどんなに難しいことかを知った。27歳も終わりに近づいた頃、正社員という3文字を自分の中から捨てることにした。
私の毎日を支えてくれたのは、東京に出てすぐに買ったキーボードだ。昔から辛いことがあるとピアノを弾いていた。東京に出てからも時間が空くとコソコソと曲を作り、そのうちに人前でも演奏するようになっていた。私は、来月から7つ目の仕事を始める。この仕事と出会うきっかけとなったのが3ヶ月前、イベントで演奏する私を見てある人が声をかけてくれたのだった。雑用仕事ばかりしてきた私はたいしてスキルもない。それでもその人は私の音楽を聞いて、その情熱を仕事に生かせると言うのだった。
その後、その人はある会社の社長であること、さらには私のいた大学の教授だったことが分かった。そこからその先生の会社で働くことになるまでに時間はかからなかった。正社員での起用だった。今までいろんな場所に行き、いろんな自分を演じてきた。けれど結局私が行き着いた場所は、自分が大好きな音楽が導いてくれた、ありのままの私を必要としてくれる場所だった。私は肩書きや目標に縛られて、自分の「好き」を置き去りにしていたのかもしれない。
次の仕事が生涯の仕事になるかは分からない。けれどもう逃げ続ける人生はやめることにした。たとえ辛いことがあっても、また私はキーボードを弾きながら乗り越えるのだろう。
不謹慎と言われるかもしれないが、こんな私の職業遍歴は私の誇りであるし、目指す仕事に出会うまで妥協しなかった結果であると今なら言える。これからは今まで私が迷惑をかけ、それでも温かく応援してくれた人々の顔を思い浮かべながら、やっと始まった私の本当の人生を懸命に生きたいと思う。