わたしの月曜日は、焼きたてのパンの香りから始まる。
「おはようございます!まかないでお願いします」「はい、いつもありがとうございます。」ベーカリーの職員さんは笑顔で対応してくれる。ランチの時間にはまた太るとからかわれたりするのだろう。でもいいのだ。うちの商品は、私の誇りなのだから。
私の職場は、広い田んぼと公園に囲まれた小さなベーカリーで、隣では引き立てのコーヒーや入れたての紅茶と一緒にキッシュやパンを出している。私はそこで簡単な事務をしているが、いわゆる職員さんとは少し立場が違う。
就労継続支援B型の利用者として、2年前から訓練としての作業を続けている。
「広汎性発達障害」の診断を受けて今の職場に入った私を、待っていたのは試練の連続だった。
「チラシの上に重い段ボール箱をおいたら商品にならないよね?」
「机の上にお店広げないでください。他の人が作業できないでしょ?」
何でそんなこともできないんだろう、というイライラしたきつい眼が、私にはかなりの苦痛だった。
「重いものを上に置いたら下のものがつぶれて困る」という簡単な法則も、「机のどこまでが自分のテリトリーなのか」というちょっとした知恵も、瞬時に理解する事が出来ない。それが、生まれ持った私の特徴なのである。
いっそいなくなった方が、自分も周りも楽なのではないか。
そう考え始めたころ、同じ利用者で清掃員をしている男性が、よく使っては怒られるギャグが耳に入ってきた。
「しょうがいはいっしょうがい」(障害は一生涯)
何度怒られても、頑固な彼はこのギャグを使い続けた。
「何で?」顔を見ても、悪意をもって使い続けられているギャグだとは思えなかった。
もしかして・・・彼は障害と、一生涯の友(・)達(・)になりたかったのだろうか。
こっそり聞いてみたところ、「そうそう!」という弾んだ声が返ってきた。
私は彼の器の大きさに感服した。そして自分でも、少しずつ障害と折り合いをつけていく努力をしていくようになった。
「メモ帳・筆記用具・水筒の三点セットを机に置いてから作業を始める。」
「作業中は必ず職員さんに確認を取って行動する。」
「相談は必ず書き出して整理してから口に出す。」
少しずつ、私のメモ帳には「自分ルール」が書き足されていく。そしてそのたびに、周りの人も私のことを理解してくれるようになっていった。
入った当初任せてもらえなかったチラシのリボン結びを、2年たった今、職員さんは安心して任せてくれるようになった。私にとっては10キロの道を走って家へたどり着いた思いである。
失敗や行き違いがなくなったわけではない。でも今、私にとって私の職場はどこの店にも負けないベーカリーであり、スタッフとして働く私も、他の利用者も職員さんも、皆同じように大切な柱の一つである。
私の夢は、いつか自分の障害と友達になること。「普通に生まれなくて別によかった。」と、胸を張って言えるようになることだ。給料をもらえる職場だけが、「働ける場所」「自分を生かせる場所」ではない。1人でも多くの障害者が、同じように胸を張って生きていける社会になることを、切に願っている。