私は、現在障がい者職業能力開発校に勤務している。主な業務は、知的に障がいのある方の職業訓練を行うことである。職業訓練とは、一年間の過程の中で生活指導、技術指導を通して一般企業の就職を目指して指導する言わば先生の仕事。私がなぜ今の職場に就いたのか説明していく。
高校の修学旅行で飛行機に乗ったことをきっかけにいつかは航空業界に就職したいと夢見て、大学では航空宇宙工学を専攻した。また、鳥のように空を飛びたいを思い、グライダー部に所属した。大学の部活は厳しく、低学年の時は、先輩が気持ちよく空を飛んでもらうための下準備をするため、滑空場を走り回った。空を飛ぶ部活とあって安全は絶対で、知識、技術は厳しい試験があった。部活で出会った同期、先輩・後輩とは今でも強い絆で結ばれている。
部活には月に数万円掛かった為、バイトをして部費に充てていた。初めてのバイトでは、社会勉強をさせてもらった。何も知らなかった私にパートのおばちゃんに言われた事がショックだった。大学生なのにこんなことも知らないのと言われた。しかし、作業一つ一つには意味があり何のために作業をしているのかを考えながらバイトをしていた。分からないことはメモを取り忘れないようにした。ある日パートのおばちゃんが困っていた時に、解るように説明して納得してもらえて以来パートのおばちゃんからの見方が変わった。働くときにパートのおばちゃんを味方につけると上手く仕事が運べること学んだ。また、学生生活では知り合うことのない、人生経験豊かな人と出会うことができ刺激を受けた。
夢を追って地元を離れ大学に学びに来たが、大学で大きな挫折をした。周りの学生は私より頭も良く優秀で私は勉強と部活、バイトの両立もできず夢であった航空業界で働くという夢を諦めてしまった。後悔はしていない。私が就職先を考えた時、利潤追求する企業ではなく、人のために仕事をしたいと考え地元の公務員として就職活動を始めた。私が就職活動をした時に、今働いている学校のことを知った。施設見学に行った時、訓練校の先生が障がい者職業訓練校の活動ついて丁寧に教えて頂き、内定を頂けたら訓練校で働きたいと思い、公務員試験勉強を頑張った。結果的に、内定を頂き希望であった職業訓練校に勤めることが決まった。
私は、航空宇宙工学専攻だったため、教育、福祉の現場は初めてだった。現場で働いてみて、指導する難しさ、福祉制度や障がいの知識と覚えることが多く勉強の毎日である。今までの勉強では物を作ることへの楽しさを見出して勉強してきたが、人を育てることへの楽しさを感じており、教え子が、出来なかったことができるようになることがとてもうれしく思う。
学生時代にバイトで学んだ経験、就職活動で培った知識や面接技術を今は訓練生に教えている。私が指導をしている知的に障がいのある訓練生は、障がいを理解しその人にあった指導方法で正しく指導すれば必ずできるようになる。訓練生は、自分のやりたい夢に向かって少しずつ成長しているのを日々感じている。
私は、どの様に自らの頭で考え知識を学び活かすのかを学生時代に学んだ。今は、先生という立場で仕事とは何か、働くこととはどういうことかを教える立場の人間だ。しかし、私は社会人として働いている年数も少なく、仕事とは何か、働くことについて教えることは出来ていない。働くという定義は色々ある。だからこそ教え子には、自分の頭で考えられる社会人になれる様にこれからも指導していく覚悟である。