【 努力賞 】
【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
自分にできることを見つけた就活
山形県  みさと  25歳

私は今病院で働いている。しかし医者でも看護師でもない…毎日の仕事の殆どは、「お絵かき」である。まさか自分が病院でこんな仕事をしているなんて、昔の私は想像もできなかっただろう。

約6年前。私は大学2年生。法学部に属していた。当時の私の夢は国家公務員二種を取得し、厚生労働省下で麻薬取締捜査官として働くことだった。公務員講座を受講し、夢に向かって一直線…だったのだが、大学3年となり、いざ試験の当日…気合を入れて深夜まで勉強したせいか、目覚めた瞬間時計を見て、「やってしまった」と呟いた。その時から、公務員は諦め、遅いスタートで一般企業を狙うことになる。

公務員講座には2年間で数十万の費用がかかっていた。それを出してくれたのは、離れて暮らす両親である。「働かなくてもいいんだから、こっち帰ってきてゆっくりしたら?」親の愛は時に恐ろしく感じる。私は感謝の気持と共に、このままではだめだという焦りが募っていった。そこから私の迷走は加速していく。

「私、県庁に決まった」「○○さん、一流企業に内定したって!」大学4年の夏もすぎれば、親友もゼミの仲間も次々と就職が決まっていった。私は合同説明会に参加し、少しでも関心のある企業に片っ端から履歴書を送った。保険会社に、アミューズメント、美容関係、飲食関係…内定を貰え、心の余裕にも繋がったが…どこか違和感があった。そんな中、ある会社に面接に行ったとき、面接官にこんなことを言われた。「君の志望動機からはさ、何も具体的な夢が見えてこないし、やりたいって気持ちがみえてこないんだよね」私はショックを覚えた。ああ、自分を見失っていた。内定さえとれればいい。そのあとは残りの大学生活をエンジョイしようだなんて、甘い考えさえ持っていた。ひと時の楽のために、この先長い人生のことをないがしろにしていた。その時から、私はもう一度自分を見つめ直した。それまで「孤独」に励んでいたが、ゼミの教授、ハローワークのキャリアコンサルタント、先輩…いろんな人のお話やアドバイスに積極的に耳を傾け、本当に自分が悔いなくやりたいこと、働きたい環境を考えた。当時お世話になった人達の言葉を胸に、自分に自信を持って最後まであきらめず戦おうと決心した。そうしてたどり着いた場所が、今働いている病院である。大病院ではないが、職員と患者をとても大切にしていて、一人一人の個性と可能性を伸ばす環境が充実していた。採用も、作文や、プレゼンテーションなど、回を重ねてじっくり自分を表現できる場があった。面接では、大学の生徒会で学んだこと、それを活かして医者や看護師が働きやすい職場環境をつくり、それを患者さんに還元していきたい旨を熱弁した。採用の連絡があった時は、声にならない思いが込み上げ、涙が出てきた。いち早く両親に伝え、共にその喜びを分かち合った。それが、大学卒業直前の2月のことである。今思えば短い期間だが、その期間のおかげで、今の自分が充実した毎日を送れているのだ。

入職当時、事務として採用され、職場環境を向上させるためのアンケートを実施したり、研修を企画してきたが、今では広報として病院のマスコットキャラやポスター、オリジナルグッズのデザインをしている。元々絵を描くことが大好きだったが、まさか仕事にできる日がくるなんて、夢のようである。業務の一環でデザインに携わってから、少しずつ周囲が仕事を回してくれるようになり、今では自分の裁量で自由に仕事ができるようになった。入職前までの働くイメージとは違ったが、今では、大学時代のあの日の寝坊を後悔していない。毎日が楽しく、自分の特技を活かして誰かの役に立っている実感を得ている。職場の先輩はこう言った。「働くとは、はた(周り)を楽にするってこと。稼ぐことより、働くことに生きがいを見いだせたあなたはすごいよ!」

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