忘れられない二年前の冬のはじめ。私は社会的に一度死んだ。
完璧主義者だった。手を抜くのが嫌いで、誰よりも一番になりたかった。際立って何かに秀でているわけでもなく、才能があったわけでもないけれど、努力でなんでも乗り越えてきた。高校も大学も第一希望で行けて、苦しむ同級生を余所に、やはり就職も第一希望ですんなり通った。地元で知らない人はいないくらい名の通った大企業だった。
何もかもがうまくいっていた。それなりに大変だったことや悩んだこともあったけれど、結果的にすべて思い通りに事が運ばれていた。仕事もきっと同じで、一生懸命頑張れば認められると思っていた。
完璧主義ゆえにこれまでとんとんと進んできた人生が、完璧主義ゆえに止まった。手の抜き方もわからなかった私は、昼休みも返上で働き、残業はもちろん土日に自主出勤をして仕事をこなしていった。学生のように点数で物事を計れない「仕事」は、一生懸命やっても結果を生まなかったり、評価されなかったり、因果応報ばかりではなかった。きちんとやりたいのに出来ない、手を抜きたいのに抜き方がわからない、すべてが行き止まりになって、ある日の朝に電池が切れた。
「あなたは本来真面目で、社会的に重宝される人材です。ただ、今は頑張りすぎてバッテリーが無くなって
しまった。一度しっかり休んで、充電をしましょう」
心療内科で言われた言葉が、すとんと私の胸の中に落ちた。気付いた頃には私の身体は食べ物を受け付けなくなり、体重は十キロ近く落ちていた。夜は目が覚めるし、朝は毎日吐き気と戦っていた。インスタントのお味噌汁を飲んで泣いたのは、その時が初めてだった。
二年前の冬のはじめ、私は仕事を二カ月休むことになった。
職場の人たちは良い人ばかりだった。私が仕事に行けなくなってから家に差し入れをしてくれたり、メールを送ってくれた。負担になることは目に見えているのに、先輩も上司もゆっくり休むようにと笑いかけてくれた。
「このまま休んで、仕事を辞めよう。生活できなくなったっていい、どうせもう、死ぬから」
毎日死ぬことだけを考えていた。
こんにちは。久しぶり、二年前に死んだ私。
私は今、同じ会社で働いている。部署は変わったけれど、自分に与えられた場所で一生懸命働いている。当時の先輩や上司は普通に話しかけてくれるし、今の部署も良い感じ。今年の春には、後輩もできた。
死にたいと思っていた私へ。働きたくない、働かなければ生活できない、生活できないなら生きていけな
い、生きていけないなら死ねば良いじゃない、と思っていた私へ。未だに仕事が詰まるとこっそりと、二年
前の私が顔を出す。でも踏ん張って、気付いた頃には笑っている。
働くことは、誰かのためになること。社会を回す一つの歯車になること。自分の居場所になること。そんな
偉そうなことを言ったって、結局は自分のことで精いっぱいなんだから、知ったこっちゃないよね。それは今も思う。
自分を犠牲にしてまで働かなくて良いよ。自分のためだけに生きていいんだよ。そうして自分が満たされて、余裕が出来てちょっと顔が上げられたら、誰かに力をわけて上げればいい。そうしたら隣の余裕がない人も、ほら、ちょっとだけ顔が上がるかもしれない。
「会社のために働かなくて良い。自分のためだけに、自分が楽しくあるように、働いてほしい」
今の上司の口癖。そんな理想論、なんて思うときもあるけれど、私はとても好き。
二年前に死んでいなければ、今も頑張りすぎていたかもしれない。誰かに頼ることができなかったかもしれない。誰かが大変であることの、痛みを知らなかったかもしれない。自分の事は自分でやってと、手を伸ばすことすらしなかったかもしれない。
ありがとう、二年前に死んだ私。
だから今は、働く楽しさを知っている。