信じられない。もっとしっかり勉強すればよかった。小説なんか読んでないで、家で寝てなんかいないで、人生に憂いてなんかいないで、目の前のもっときらきらしたものに目を向けていればよかった。ここで4年かけて学べることのなんて大きなことか。講義が退屈だと言ったり、独学で十分だと言ったり、教員に熱意のない授業は不要だと言ったり。本当は粋がった若輩者の言い訳だったと今なら分かる。平気な顔をして、「点数だけが欲しい」と先生たちに面と向かって言っていた今までの自分のなんて厚顔無恥なこと。今なら分かる。自分が大層恵まれた環境で天狗になっていたことを。恥を恥と知らずに愚行を重ね、信頼と尊敬を日に日に失っていることに気づかないふりをして、先生たちのやさしさに付け込んできた。志の大きさこそが人間の優劣だと勘違いして。なんて愚かなことか。野心とも言える大きいだけの志。野心結構。大志を抱くのも結構。夢を声高に語るのも結構。だが今までの自分よ、掲げるだけの野心に見合う努力を君はできているのかと問いたい。理想を語るばかりで、自身の立ち位置を見失ってはいないだろうか。君は今、この瞬間こそ打ち込むべきことをしかと自覚できているだろうか。その限られた時間が君の大きな手からこぼれ落ちていることに君は気づいているのだろうか。時は有限と、時は金なりと君は知識としては知っているのだろうが、それを実感するのはいつなのだろう。それを実感して、危機感を抱き、行動に移すのはいつになるのだろうか。今この瞬間に君が真の意味でこれを自覚し、この瞬間からの君の行動が変わることを切に願っている。君はまだ自分が若いと知っている。だが、君は多くの時間を無駄にしてきたことも知っているはずだ。志だけを抱いてきた今までの間、君は何も為し得てはいない。勉強をしていると周りに言いながら、その進捗はほとんどなく、実力をつけると言いながら、これに関しては志を抱いた時から長らく時間だけはあったのに何一つ行動に移してさえいない。なんと怠惰で滑稽なことか。野心結構、身の程知らず結構。だがこれらは、そのために行動を起こし始めている人間のための言葉だ。
君は、時折自分の言葉の軽さに違和感を持っていたはずだ。掲げる志の大きさの割に、その中身が空っぽなことに。溢れるただの向上心。これは、真にただの向上心と言えた。そして自惚れであった。ただただ自分が選ばれた人間だと思い、自分こそは優秀な人間だと自分を自分で鼓舞し、実力に裏付けされた自信だと時に思い込み。それに見合うだけの努力の記憶はなく。ああ、愚かの一言に尽きる。滑稽だ。なんと滑稽なことか。周囲の人間の魅力を自身の魅力と錯覚していたのか。周囲の素晴らしき人々と関わる間に、自身も実力のある人間なのではと錯覚していた。恵まれすぎていたのだ。周囲の優しさと運に恵まれて天狗になっていた。自分の元から去る人間に注意などひとつも払わずに過ごしてきた。私のことが気にくわないなら勝手に嫌ってくれと思っていた。万人に好かれるつもりもないから結構と。人が去るのは、私の人としての在り方が鼻につくか気にくわないのだと思っていたのだ。誤解を怖れずに言えば、一種の嫉妬故だと思っていた。あぁ。なんと厚顔無恥で自惚れた考えか。自身に改めなければならない点などないと錯覚していたのだ。自身の虚像に溺れ、ハリボテの自信に溢れていた。それを真の自信だと自分では心底思い込んでいたが。
自覚してしまった。声高に語る野心が、実力に裏付けられていると思っていた自信が、将来への溢れる希
望が、全て虚像だったということに。この自覚ゆえに、私は自身の野心に行動を伴わせなくてはならない。自惚れてきた自身と決別し、長らく抱いてきた大志に向けて行動を起こすのだ。今、この瞬間から虚像を実像とするべく。でないと、私はいつまでも私自身を信じられない。