今日の日本の労働環境は戦前では考えられないほどに「平等」という言葉と共に整えられている。それもこれも、戦後の激動の日本を支えた当時の人々の「男女平等」「労働者権利」といったスローガンの下での社会運動のおかげだろう。そして、今や日本は経済大国へと成り得た。だが、そのような日本にもまだまだ課題はある。
確かに、現在の日本では、アメリカ、中国に続き世界第三位のGDPを誇る経済大国になるまでに発展を遂げた。さらに「男女雇用機会均等法」や「最低賃金制」などの法律によって格差是正を進め、日本は様々な壁を乗り越えてきた。しかし、日本はまた新たに壁にぶつかっているのである。時代は変わった。終戦から70年あまりが経ち、日本の置かれる国際的立場も、人々の思想も慣習も大きく変化した。少子高齢化の影響から労働人口が減り、労働力の不足が嘆かれる。またバブル崩壊から「失われた10年」を取り戻せずに慢性化する不況により、正規雇用者の削減で就職氷河期に直面する若者。この2つが今の日本が抱える主な問題ではなかろう。
さて、ではどのようにこれらの問題に向かい合うべきなのか。私は「生活の質」が鍵になると考える。現在の日本は物質的欲求を満たし、少品種大量生産から多品種少量生産への転換期を向かえている。それに伴い我々の生活も個人のニーズに寄り添い、質を求める必要があるだろう。まず、労働力の不足と嘆かれているにも関わらず、就職氷河期と若者が職につけないのは何故か。それは若者が自分の職に求める条件が一般化してしまい、職業観でも、人気のある職業と不人気の職業で二極化してしまっている。例えば、サービス産業および大手企業は就職試験もすさまじい倍率だ。それに対し、第一次産業または第二次産業は年々労働人口が減少している。特に、農業従事者の最近の減少率は頭を抱えるほどだ。そこで、私は人々の職への意識について改めて問い直すべきではないかと考える。若者については大学を出て、大手企業に就職することが素晴らしいと考える風潮が少なからずあるだろう。では問いたい。君達は農業のやりがいを知っているか。町工場の熟練した技術の誇らしさを知っているか。おそらく、ほとんどの人は首を横に振るだろう。そして、なぜ大手企業に就職することが良いのかと問うと、「安定した生活を送れるから」と答えるのではなかろうか。そんな人々に私は提案したい。もちろん、安定した生活は大切だ。だが、もっと野望を持ち「やりがい」という生活の質を求めてみるのも悪くないのではないか。以上のように、私は人々の意識・考えを「生活の
質」を求めるという方向に向けることで、日本が新たに抱えている労働の問題についても明るい兆しが見えるのではないだろうか。
よって今後は私も含めて多くの人々に「生活の質」という言葉を意識してもらいたい。