【 佳  作 】

【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
月とスッポンも気持ち次第
大阪府  となりの坊主  35歳

「のりは、いいなあ、華やかな世界で働けて、勝ち組やもんな」

6年前まで、僕はそう言われていた。某スポーツ新聞の記者、これが僕の肩書きだった。ゴルフの石川遼に宮里藍、野球では阪神にオリックス、あの世界のイチローとも話を交わしてきた。テレビの中のそうそうたる面々が当時の取材対象者、その現場が僕の仕事場だった。日々変化に富んだ忙しい毎日。それでも充実感が漂っていたのは、自分でもそこが華やかな世界で仕事のステータスも上だと思っていたからだろう。

それが今、そんな世界とは程遠いところに僕は身を置いている。6年前、家庭の事情もあり、実家のお寺を継いだのだ。それ以来、僕の肩書きは僧侶となった。そして取材対象者はおじいちゃん、おばあちゃんに変わった。最初はその変化に慣れなかった。読経して挨拶して終わりという毎日が同じ繰り返し。前の仕事と比べたら、その華やかさは歴然、まさに月とスッポンだった。

そんなギャップに嫌気がさしていたある日のこと、田んぼに佇む、ひとりの青年に目が止まった。同級生のヒデちゃんだった。肩にタオルを巻き、汗だくになりながら、トラクターを動かす姿は、もはやベテランの農家さんそのものだが、彼もまた少し前まではゲームを開発するシステムエンジニアが肩書き。しかも東京でバリバリ働く勝ち組だったはずだ。それが彼の父親が病で倒れ、車椅子生活を強いられたことで帰阪し、仕事もキッパリ辞め家業を継いだのだという。それを初めて聞いた時、僕は可哀想、オレと同じで気の毒やなと思っていた。

それなのに、久しぶりに見かけたヒデちゃんは生気がみなぎっていた。農家があたかも自分の天職かのように目を輝かせているのだ。

なんで??辛くないの??悔しくないの?? 僕は不思議で仕方がなかった。でも、当の本人の答えは驚く程、単純明快だった。

「最初は嫌やったわ。泥だらけになるし、全く違う世界やろう。でも、自分が丹精込めて作ったお米を『おいしい』いうてくれる人がいると思うと、なんか幸せでね。ゲーム作るのも良いけど、こっち育てるのも面白いんよ」

同級生と思えないくらい、ヒデちゃんが大人に見えた。いろんな思いを割り切り、明らかに「今」を楽しんでいる彼。一方、昔の栄光から抜け出せず、前すら向けない自分。どっちが正しいかは明らかだった。

その日以来、僕は「今」を大切にするように努めた。変わってしまったことは仕方がない、だったら、後悔のないように「今」を生きようって……。

まず、取り組んだのは、ただ読経して挨拶して、終わりというスタイルを辞めた。何でもいいから、自分から話を振ることで檀家さんとの交流に時間を費やした。すると、どうだ。おじいちゃんやおばあちゃんから聞ける話は、どれも知らないことだらけ。特に戦争の話は教科書にも載っていない内容で昔を知ると同時に、命の大切さを学べた。

また、暗いイメージのお寺を払拭しようと、積極的にイベントを開催するようにした。夏には子どもの集い。みんなで学び、遊び、最後は流しそうめん。これは想像以上の反響で、今ではウチは「そうめん寺」なんて呼ばれている。

気付けば、記者時代にも身につかなかったことが、ここ数年でたくさん学べている。気持ち一つでこんなに変わるのだと初めて知った。

僕は思っていた。仕事には勝ち組負け組があって、誰もが羨む世界は仕事のステータスも上。だから、やる気も起こるんだ、と。でも今はハッキリわかる。仕事に勝ち組も負け組もない。大切なのは「自分の気持ち」。それ次第で、その仕事に対するやりがいも変わってくる。世間の物差しなんて関係ない。その仕事に誇りを持てれば、「今」を楽しめさえできれば、それは勝ち組になる。

僕は今、自分の僧侶という仕事に誇りを持っている。決して、華やかな世界ではない。でも、自分次第で“花咲く”世界だと確信している。「今」を楽しみながら……。

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