【 佳 作 】
「メロンなんていらない」と言い放った当時の私を、60歳を過ぎ頭に白いものが目立つようになった今の父は覚えているだろうか。約20年前、青果市場で仲卸業者として仕事をしていた父が、なかなか市場に出回らないという新種のメロンを私にと持ち帰ってきてくれた。口下手で恥ずかしがりやの父が、一人っ子の私に、勉強を頑張っているからと勇気を振り絞って手渡そうとしてくれたメロン。しかし当時の私は中学生で思春期真っ只中。冒頭の言葉とともに、父の善意を踏みにじってしまった。青果市場に勤務する父のおかげで食卓に鮮度のいい野菜や果物が並ぶことが珍しくなかったから、という理由も今となっては後付けに過ぎない。何よりも娘が喜ぶ顔を楽しみに帰宅したであろう父は、どれほど傷ついたことだろう。
太陽が昇る前の暗闇の時間から一人目覚まし時計で起床し、眠る私と母を起こさないよう静かに出勤。貴重な週に一日の休みは、スポーツ新聞を読みながら家でゴロゴロするだけだったのも、今思えば体を休めるため当然だと理解できる。しかし、頑張っている姿を直接見ることがないため、当時の私にとって、父は少しも格好いいと思えなかった。それどころか、「友達のお父さんはパリッとしたスーツ姿に身を包み、オフィスビルで働いているのに、うちのお父さんはなぜいつもくたびれた作業着姿なの?」という思い。当時の私は子どもだった。子ども過ぎた。口には出さなかったが、私が父を尊敬していない、軽蔑に近い感情まで抱いていたことは、私の態度の端々に表れていたことだろう。母によると父は職場で十分な働きをしていたようで、わが家の大黒柱として母と私を養ってくれた。父の稼ぎで学習塾や大学まで通わせてもらったのに、それがどれだけ大変なことか、自分が社会人になり働きだすまでわかっていなかったのだ。
思春期時代からずっと、父と私の間には見えない厚い壁があった。授業料は父のお給料から支払われているのに、私が進学や就職の相談をするのは母で、父には母づたいで情報が届いているに過ぎなかった。その後、私は無事大学を卒業。就職し、仕事の大変さやお金を稼ぐことがどれだけ大変なことか身をもって学んだ。上司や先輩に叱られるだけならまだましで、飛び込み営業に行った先で、自分が邪魔者のようにあしらわれることが普通な日常。泥臭いことをしないと契約どころかアポイントメントにまでつながらない。職種によって仕事内容や大変な点はさまざまだが、社会人として働いている人たちがこのようなつらい思いをしないとお給料をいただけないということに衝撃を受けた。そして、父が汗水たらして働いて得たメロンをむげにしてしまったあの時の私の愚かな行動を悔いた。私は取り返せないことをしてしまったのだと。
家族を守るため、食べさせるため、早朝から夜遅くまで作業服がクタクタになるまで駆けまわっていた父。あのメロンは、父の子を思う気持ちの結晶であり、値段は関係なく、世界に一つだけの尊くて価値のあるのものだったのだ。