【 佳 作 】
「私の日常は、誰かの夢かもしれない」
そう感じたのは今年の春のことだった。私は3年前からせいがん日本語学校というところで学校スタッフとして勤務している。そこには、15か国もの国から日本語を学ぶためにいろんな留学生が来る。「小さな地球という名の教室」を作りたいと始めた小さなちいさな日本語学校。その名の通り、1つの教室には様々なバックグラウンドを持った留学生が日本語を共通語にして世界を学ぶ。
私はそこで、日本にいる彼らの「先生」であり、「日本のお姉さん」の役目を担っている。さまざまな国からの留学生には毎日驚かされるばかりだ。国によって状況はまちまちで、つくづく「日本の常識は世界の非常識」だということを痛感する。バングラデシュの学生が通っていた大学は、選挙のたびに暴動が起き休校になる。ラオスの学生の出身地、ビエンチャンにはビルが一つもない。ロシアの小学校は3年しかなく、韓国の高校生は午前1時まで勉強する。そんな日本では考えられない「現実」を彼らに教えてもらう。
半年に一回、卒業式と入学式があり、30歳を超えたあたりから私は卒業式で司会なのに泣きじゃくることが増えてきた。前回の卒業式で、私はこんなことを泣きながらみんなに伝えた。
「正直、遅刻すんなよ、休むなよってみんなにムカつくことあったけど、人間は悪いことから先に忘れていくから、今はみんなとの楽しい思い出しかありません。大好きなみんな、みんなは家族やからまた絶対帰っておいで」
グスグスともらい泣きをする学生を見てまた私ももらい泣きを逆輸入。
すると、卒業式の後、在校生のベトナム人学生がキラキラとした目で私を訪ねてきた。
「先生、私、夢ができました。私は、先生のような女性になりたい。先生のような情熱を持ってできる仕事をしたい。ベトナムには日本に留学したい人がたくさんいます。そんな人たちに、私も情熱を持ってチャンスを与える架け橋になりたい。先生の涙でそう強く思いました。」
私の涙腺がさらにゆるまったのは言うまでもなかった。この情熱が、学生たちに伝わっていたことも心から嬉しかった。
彼女の言葉で気付けたこと、それは「私の日常は誰かの夢である」ということ。なんとなく過ぎてしまう毎日があったり、業務が立て込み、ストレスもたまって「もうやめてしまいたい!」と思ったりすることもある。しかし、自分が今いる場所がキラキラとした「夢」の結晶であることを改めて感謝することができた。
それから4か月、私はもうすぐ産休に入り母になる準備をする。この学校で学生たちに与えた愛を次は我が子に与える番だ。「母親になること」は私の夢の一つだった。これから始まる新たなステージ。辛くなった時は思い出そう。「私の日常は誰かの夢」そして、ずっと叶えたかった「自分の夢」だということを。