【 佳  作 】

【テーマ:多様な働き方への提言】
病気になっても働きたい
東京都  渡 辺 佳 那  27歳

何のために働くのか。お金を稼ぐことよりも大きな意味が障がい者の就労にはあると思う。私は精神科病院に勤務し、一年以上の長期入院の方の退院支援に携わっている。患者さんに退院して何をしたいかと質問すると、「働きたい」という答えがよく返ってくる。まずはデイケアなどに通いながら、食事や掃除など身の回りについてでき、鈍っている生活の勘やリズムを取り戻すことから地域生活を始めていくパターンが多いのだが、飛躍して就労したいという希望も少なくない。一見すると自分の能力に見合っておらず、現実的でないと捉えられるが、働き盛りの世代で身体的に健康であれば、働くという考えはある種当たり前に持つものであると思う。

 障がいを抱える方にとって働くことは負担となる部分もあるが、病気の治療や回復にプラスの影響も与える。職場という所属する場や居場所を持つことで、他人と繋がり、孤独感が減っていく。仕事を通し生産的に何かの役に立つ、貢献することで自己効力感が高まる機会が得られ、自我の安定に繋がったりする。

 しかし、現実は障がい者が受け入れられることにまだ壁がある。特に精神疾患は病気が周知されておらず偏見も残っており、実習に来る学生さえも漠然と「怖い」というイメージを持っていたりする。どういった病気なのか、どのように接したら良いかと尋ねられることも多い。自身がどう見られているかを当事者側も敏感に感じ、病気を職場に申告せずいわゆるクローズで就労する人も多くいる。最初のうちは良くとも、病気を打ち明けられないことで仕事が増え、負荷が掛かった時にもSOSが出せず、病気が再燃し辞めざるを得なかったりするケースも多い。日頃患者さんと接する精神科の従事者であっても、同じ職場にメンタルヘルス不調者が出ると、客観的に向き合う冷静さを失いがちとなる。病気についての理解や患者さんを見守る立場の視点はあっても、一緒に働くとなるとどんな配慮が必要か分からず途端に対応に戸惑ってしまう。

 病気が無くとも自分が働くこととメンタルヘルスの関係に無頓着となりやすいように感じる。身近な人が病気となって初めて関心を持つなど、後回しになりがちな問題である。働くことが日々どれくらいの時間やウエイトを占め、それに自分がどんな価値や意味を持ち、重きを置いていることなのか、生活全体のバランスとうまく釣り合っているのかなど、改めて考える機会が無ければ日々の忙しさで見過ごされてしまう。その結果うつ病や過労死を招いてしまっている。

 身体的な疾患と同じように精神機能面にも元々の強さや弱さがあり、病気に罹りやすい人がいる。強い人でも無理が重なれば発症のリスクは高まるもので、いつ自分が罹ってもおかしくない。誰にでも起こり得ることだが「病気を抱えながら働く」という習慣や考えはとても少なく、病気になる=仕事を辞めるという流れになり、労働者という立場や役割も失われてしまう。働くことは「社会の一員として認められている」という意識に繋がり、それらは自分を支え、自信を与えてくれるものであると思う。もし明日から自分が働けなくなったら、毎日どのように過ごしたら良いか、自分に価値はあるのかと塞ぎ込んでしまうかもしれない。病気をしても安心して過ごせる社会のために職場の環境整備が必要である。健康である人、病気を抱える人、様々な人が一緒に働くことは、病気や障がいへの理解を深める機会にもなる。とはいえ現場レベルの視点では、障がい者と事業所を繋ぐ専門知識を持つファシリテーター役などが必要であるが、人員の確保や配置など課題も多く、劇的に変わっていくことは難しい。自分だけでは変えていけない現状にやるせなさや悔しさを感じるが、病気が周知される機会を提供するなど、少しずつでも病院の中だけの治療ではなく、障がい者が受け入れられ易い環境作りに貢献していきたい。

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