【 佳 作 】
大学を卒業して、働きたくなかった私も毎日働いています。
アルバイトとの違い、続いていくことの尊さ、先を見ることの必要性、数えきれないぐらいたくさんのことを働く中で、感じてきました。そしてわかったふりをしてきたのだと思います。なんのために働くのかということを。
働く喜びはたくさんあるでしょう。反対に悲しみや辛さもたくさんあるでしょう。
そんな中で私を支えるモチベーションは、不健全かもしれませんが「怒り」「苛立ち」といったものだったのではないかと思います。
障害者の就職支援に携わり3年。その中で出くわす「仕方ない」がどうしても許せなかったのです。もっと何か出来るのではないかというイライラが私を動かしていたのだと思います。
「仕方ない」で終わることはビジネスにはなりにくいということが多いと感じました。それなら話は簡単だ。ビジネスモデルとして結果が出るように提案すれば良いのだと私は思い企画書をまとめました。
そして気づかされました。私が追い求めるギャップの解消は、押しつけなのではないだろうか?実際、今対応できていないニーズに対応するという内容の企画書は、今いる人たちのことを考えていないものになっていました。
こうあるべきで固まった石頭は、私生活でも出ていました。婚約した彼女に対して、守らなければといった思いや自分なりの愛情表現がずれていたのに頑なに押し通そうとして喧嘩ばかりが続いていました。ビジネスにはWin-Winの関係が大切とよく言われます。先に企画書も足りないながらもそれを意識した内容にしたつもりでした。彼女とのやりとりにおいても、幸せにするぞという気持ちでいました。
一番欠けていたのは、相手がどう思っているかだと思いました。相手の言葉を聞くことでした。そこには一番大切な「本人」がいなかったのです。
思えば今まで「こうあるべき」に苦しんできたと思います。働くことはよりその感情に縛られやすくなります。ずっと感じていた「仕方ない」へのいらだちは本当はそれだったのかもしれません。自分で選んだものに自信がなく生きる顔を見るのが悲しかったのかもしれません。そして自分自身を見ている気がしたのでしょう。
全人類の幸せでは私の幸せは満たされないという学生時代に作りかけの曲があります。それが他の人にも同じことが言えるのだという単純なことを見落としていました。
26歳の今、学習支援の仕事に携わっています。目の前にはたくさんの「こうあるべき」や「仕方がない」が溢れています。しかし目の前にたくさんの人生があることにワクワクしています。彼らの「こうなりたい」 を受けとめられたらと思います。
そして、プロポーズした彼女とも「こうしたい」と言い合っています。たまに私が同じ失敗をして喧嘩してもです。