【 佳  作 】

【テーマ:仕事を通じて実現したい夢】
母の仕事
山形県  海 谷 千華子  20歳

「5分経ったら起こして…。いや、やっぱり15分。」

 これが、深夜0時を回った頃の母の口癖だった。

 私の両親は共に小学校の教員だ。最も身近にあり、「仕事といえば?」と問われれば真っ先に出てくる職業だ。

 私はきっかり15分後に、ソファーで仮眠を取る母に声を掛けるが、これで起きることはまずない。いつも、眉間に皺を寄せたまま寝ている。そんな寝方で疲れが取れるのかと疑問に思う。

母が夜な夜な行っているのは、生徒のワークテストの採点、週末に配る学級通信づくり、時には家計簿。そんな姿をずっと見ていたためか、自分の中で、教員という職業は「大変そうだから絶対になりたくないもの」という認識になっていた。

 母は、私が実家で暮らしていた時から、なんとか暇を作ってはいろいろな場所へ買い物に連れて行ってくれた。その先々で、必ずと言っていいほど母の知り合いに出会う。それは、母のクラスの小学生の子だったり、父兄だったり、卒業した元教え子だったり様々だ。彼らは、出会った瞬間、「先生!」と言って笑顔で駆け寄ってくる。そういうことを恥ずかしがりそうな中学生くらいの男の子も、駆け寄ってくる。「今どこの学校にいるの?」「結婚することになりました。」「赤ちゃん可愛いでしょ。」とみんな嬉しそうに話す。

「いつもいろんな人に会うね」と言うと、母は「もう30年くらい働いているからね」と言った。30年前の教え子といったら、10歳前後だった生徒たちが今はもう四十路かと考えると、とんでもない年月だと思うと同時に、それだけ母はいろいろな人と出会ってきたのだなあと感じた。そして、働くことの意義はここにこそあるのではないか、と思った。ずっと大変そうだから嫌だと思っていた教員という仕事が魅力的に思えた。教員は、毎年多くの生徒と出会い、送り出していく仕事だ。生徒を送り出してからも、会えば笑顔で声を掛けてもらえる仕事に就いている母を羨ましく思った。母の人望があってこそと思うが、私もそんな仕事に就きたいと考えるようになった。

現代の若者は、人との繋がりを求めてSNSにはまっていく。しかし、今繋がった人と、10年後、20年後、自分の中にどれほど残っているだろうか。この時代、人と繋がることは容易い。難しいのは、その繋がりをずっと保っていくことだ。私はまだ明確に就きたい職業が決められずにいる。私は、人と繋がり、関わるだけではなく、何年か先に偶然会ったときでも、昨日「また明日」と言って別れたばかりのような、お互い笑顔になれる人と、たくさん出会える仕事に就きたい。母は、疲れたとはよく言うが、辞めたいと言ったり、仕事を投げ出したりしているところは一度も見たことがない。自分の仕事が好きで、誇りを持ち、やりがいを感じているということがひしひしと伝わる。

私は母のような大人になりたい。これから就職活動が始まる。私にはたくさんの選択肢がある。母のようになりたいという夢を実現させるべく、視野を広げて、好きだと思える仕事を見つけたい。

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