【 入 選 】

【 テーマ:多様な働き方への提言】
祖母の残した仕事
東京都  坂 上 龍 馬  17歳

中学校の時、理科で「ジュール」という単位を習った。日本語では「仕事量」と訳す。

どれだけの重さの物体をどれだけ動かすかというエネルギーの単位であるが、当時その日本語訳がどうもしっくり来なかった。今になって思うと、あの時の自分は13歳なりに「仕事とは、ただ物を運ぶことではない」と感じていたからなのだろう。「仕事」には様々な目的や意識が絡み合い、物理的なエネルギーでは測れない側面がある。

以前に『幸福な職場』という演劇のシナリオを読んだことがある。残念ながら本物の舞台は観ていないのだが、川崎市の日本理化学工業という実在する会社を題材にしたストーリーだ。この会社は学校で使うチョークの大手メーカーだが、障害者雇用を積極的に導入した先駆けである。その会社で、昭和の中頃に初めて障害者を社員に迎え入れた頃のドラマを描いている。

障害のある社員と一緒に効率よく仕事をすることは、そんなに簡単なことではない。チーフは、流れ作業の仕事を知的障害者にも分かりやすくて作業がしやすい方法を工夫した。するとそれが障害のない社員たちの能率も上げていく。障害のある社員は、その誠実さや純粋さで、だんだん社内で無くてはならない存在になって行った。日本理化学工業は現在では全社員の70%以上の障害者を雇用し、業績を伸ばし続けているという。

『幸福な職場』で印象的だったのは、失敗ばかりしている社員が辞めさせられそうになったとき「お仕事大好き。お客様のために働きたいから、お仕事を辞めさせないで。」と泣いて、他の社員が忘れかけていた仕事の原点を教えられた場面である。

さて、僕の考える「理想の仕事」である。「好きなことを仕事にできたら幸せだ」とか逆に「一番やりたい趣味を仕事にするな」とかよく言われる。やはり「趣味」と「仕事」は別物だろう。僕はいま高校生で、国境のない医師団に憧れて医師になりたいと思っている。しかし「仕事」は「ボランティア」とも違う。もちろん報酬だけが大事だという考えも間違っているのは自明だが、仕事である以上、報酬は必要だし、善意だけで成り立つものでもないだろう。その前提の上に社会貢献とかやりがいとかいった要素が加わる。

今年1月に亡くなった祖母は、この何年かは寝たきりで、母が在宅介護をしてきた。僕は毎朝登校前に「行って来ます」と言い、帰ると「ただいま」と言う日常を4年程続けた。祖母はそれだけで喜んでくれて、僕が少しでも遅くなったりすると、「龍さんはどうした?」「龍さんはどうした?」と何度も聞いていたらしい。

こうした高齢者がますます多くなり、少子化も合わせると働き手は減り、税収や医療や社会保障の問題はさらに大きくなると懸念される。

しかし、祖母が亡くなって初めて僕は気づいた。祖母は確かに社会に貢献する仕事はして来なかったが、僕や母にとっては居るだけで励みになっていたのだ。祖母に「行って来ます」と言うことで、僕は気を引き締めて勉強に向かい、将来は医療の道に進もうと決意した。教師である母もまた、祖母が居ることを支えや責任として教育の仕事に打ち込めたのだと思う。そう考えると、無職の祖母も間接的に「仕事」を支え、だからそれも社会参加だと言えないだろうか。

「仕事」の定義は複雑である。成果や業績だけで測れるものでもないし、社会貢献度や個人の満足や喜びだけもない。

だから僕は「理想の仕事」をこれからも模索する。いま一つだけ言えることは、自分の為したことや存在自体が誰かの励みになってほしいということだ。

戻る