公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞
8年前、銀行員だった私は仕事を辞め、単身韓国へと渡った。
当時、代わり映えしない日々の業務に辟易していた私は、仕事に対するやりがいを見失い「自分にしかできない何か」を求め、好きな語学を生かした仕事に就こうと思い立った。
こうして28歳の冬、私はソウルで日本語教師になった。
早速、日本にいる知人に報告すると「おめでとう」どころか予想もしない答えが返ってきた。
「契約社員?!正社員として働いてれば安定していたものを…もったいない!」
「年をとったら絶対後悔するよ」
「28歳にもなってやりたいことをやろうなんて、大人になりたくないピーターパンみたい」
たくさんの負の言葉が私の胸に突き刺さり苦しくなった。
「私は今の仕事が好きだから!」
そう弁明したはいいものの、確かに一般的に考える正社員のメリットは私が考えても溢れるほどあった。皆の言うとおり、こんな小さな語学学校で契約社員として働くよりは正社員として働きながら、家庭を持ち細く長く働いていたほうがよかったかもしれない。そんな思いが膨らみ始め、いつしか私は銀行を辞めて転職したことを後悔するようになっていた。
そんなある日のこと。ふとしたきっかけで同じ職場で働く英語教師のエマと話す機会があった。エマは一通り私の話をきくと「安定なんてこの世の中に存在しないのよ」と優しく笑って言った。
それから彼女は、かの有名な小説「鏡の国のアリス」の一節
‘It takes all the running you can do, to keep in the same place.’<その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない>という台詞を持ち出して、世界は目まぐるしく変わっている、だから今の生活を維持するためには正社員、契約社員という雇用形態に関係なく常に自分を磨き続ける努力をしなければならないと私に言って聞かせてくれた。私はその言葉で目が覚めた。世の中には多様な考え方があると同時に、多様な働き方も存在するのだ。エマのような考え方で今の仕事を楽しんでいる人もいれば、知人のような考え方で契約社員に不安を抱く人もいる。考え方は国や年齢、環境、性格によって変わるのだから「幸せに対する価値観」もひとそれぞれ。結局のところ「働くということに対しての捕らえ方」もひとそれぞれなのである。他人にとって私の仕事がどう見えるかを気にする必要は全くなく、私は自分のしたい仕事を追求すればいいのだ。そう思ったらなんだかとても楽になった。こうして私は誰かに「仕事を変えた理由」をくどくど弁解していた過去の自分に決別した。
そして8年が過ぎ、その間私は日本語教師として働きながら大学院に通って教育学を専攻した。さらには日本語を愛するたくさんの教え子達の思いを紡ぎ、日本人と交流できる小さな民宿を立ち上げた。今では有難いことに多くのお客様が日本からいらっしゃり、毎夜、私の教え子たちと楽しそうに話している。その姿を見る度に私が民間レベルの国際交流に少しでも貢献できたのではないかと嬉しく思う。
「先生に会えて本当によかった」
その言葉こそ、私が8年前に探していた「自分にしかできない何か」の答えである。今、私は自分の仕事に誇りをもっている。自信が生まれたからか今や誰も私の仕事に対してとやかく言う人はいない。それでも私はエマが教えてくれた「鏡の国のアリス」の一節のように、さらに全力で走り続けたい。そしてどんな形であれ多様な働き方ができるよう準備していく必要があると思っている。
なぜなら海外に出て本当に色々な世界があることを知ったから。
これからは更なるグローバル化と技術の進歩に伴って、今まであった既存の仕事が消え、私が想像をもしていなかったような仕事がどんどん生まれてくるであろう。その時も動じず、私が私らしく自分の好きな仕事をして人生を楽しんでいけるよう、今の状況に甘んじず常に己を磨いていきたいと思っている。